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過酷な時代の波に抗った一人の女性~濫読日記 [濫読日記]

過酷な時代の波に抗った一人の女性~濫読日記

「ゲルダ キャパが愛した女性写真家の生涯」(イルメ・シャーバー著)

ゲルダ.jpg スペイン内戦のさなかに撮られた「崩れ落ちる兵士」は、戦場写真の傑作として長く伝説の中にあった。今、この1枚は大いなる謎の中にある。謎は二つある。この兵士は、本当に撃たれた瞬間だったのか。そうだとすれば、こんなに鮮やかに「死の瞬間」はとらえられるものなのか。もう一つは、撮ったのは本当にロバート・キャパなのか。

 沢木耕太郎の「キャパの十字架」は、この二つの謎を追って長い旅に出る。そこで、キャパと行動を共にした一人の女性カメラマンを知る。ゲルダ・タロー。彼女はキャパのライカとは違う、6×6サイズのカメラを使った。「崩れ落ちる兵士」のネガは6×6サイズだった―。

 沢木の1冊では、ゲルダはあくまでもキャパのパートナーである。それと同じ視点でこの「ゲルダ」をとらえようとしたら、少し面食らうかもしれない。ここにいるのは、単なるキャパの同行者ではなく、歴史の過酷な波を小さな体で乗り越えていった一人の自立した女性である。

 ゲルダは、本名ゲルタ・ポホリレ。1910年、ドイツ・シュットゥガルトのユダヤ人の家庭に生まれた。その後、一家はライプツィヒに転居する。33年にヒトラーが首相に就任すると、ドイツにファシズムが急速に強まる。そのころ、ドイツ左翼思想に共鳴していたゲルタは、反ファシズム運動にのめりこむ。そして身の安全を確保するため、パリに脱出する。

 ゲルタはパリの街角で、一人のカメラマンと出会う。後のキャパである。二人は、写真家としてデビューするため、一つの戦略を練る。それぞれ、ロバート・キャパ、ゲルダ・タローと名乗ることにしたのである。戦略は成功し、写真はそれまでの3倍の値で売れるようになったという。1936年ごろのことである。ちなみに、彼女が「タロー」と名乗った動機の一つに岡本太郎の存在があったという。

 1936年7月、スペイン内戦が始まり、二人は8月、バルセロナに飛ぶ。「崩れ落ちる兵士」が発表されたのは9月である。この写真について著者は、銃弾が込められていなかったこと、「フェイク(やらせ)」説があることなど、いくつかの疑問に言及しているが、それ以上には踏み込んでいない。著者の狙いは1枚の写真の「意味」を探ることではなく、ゲルダという女性の生きざまにあったからであろう。

 1937年7月、マドリッドの西、ブルネテの戦場でゲルダは共和国軍の戦車にひかれ死亡する。キャパはその場にいなかった。詩人が詩を詠み、新聞はお涙頂戴のストーリーを掲載した。しかし、彼女がユダヤ人の出自であることなどほとんど触れられなかった。フランス共産党は大げさな葬送の列を演出し、彼女を「反ファシストのジャンヌダルク」に仕立てた。キャパはといえば、戦後吹き荒れたマッカーシズムの防波堤に彼女を利用した、といわれる。すなわち、「反ファシズム闘争のゲルダ」と「戦場写真家のキャパ」という二つのイメージを定着させようとしたのだという。そのため、ゲルダの写真の多くは散逸、もしくはおそらく「キャパ」のクレジットで公表された。

 長いあとがきを書いた沢木は、著者と会った時の印象として「執筆動機のひとつに、義侠心があったかもしれない」と書いている。そして、カメラマンとしてのゲルダは、間違いなくこの一冊によって救出された、と書いている。

私たちはここで、もう一つの過酷な事実を知らねばならない。彼女を育てたポホリレ家はその後、絶えたという事実である。ホロコーストによって誰一人生き残ることはなかったという。


 「ゲルダ キャパが愛した女性写真家の生涯」は祥伝社、2100円(税別)。初版第1刷は20151110日。著者のイルメ・シャーバーは1956年生まれ。ドイツの歴史学者。90年からゲルダ・タローの研究を始める。94年に最初の評伝「ゲルダ・タロー」を刊行した。

ゲルダ――キャパが愛した女性写真家の生涯

ゲルダ――キャパが愛した女性写真家の生涯

  • 作者: I・シャーバー
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2015/10/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

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