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さすがの出来栄え~映画「ブリッジ・オブ・スパイ」 [映画時評]

さすがの出来栄え~映画「ブリッジ・オブ・スパイ」

 性格俳優としては当代随一のトム・ハンクスにスピルバーグ監督がつき、コーエン兄弟がシナリオに参加する。これ以上は考えにくい取り合わせである。そして、予想にたがわぬ出来栄えと思われる。

 時代は1957年から60年代初めにかけて。米ソ冷戦のさなかである。50年2月、ウィスコンシン州選出上院議員の演説で、一つのうねりが全米を覆う。マッカーシズムである。前年の中華人民共和国の成立を受けて、反共意識が高まる。そうした時代背景を受けて、この物語は始まる。

 一人のソ連スパイ、ルドルフ・アベル(マーク・ライアンス)がFBIによって拘束される。弁護を依頼されたのはジェームズ・ドノバン(トム・ハンクス)。最高裁まで争うが、捜索令状もなしに行われた違法捜査にもかかわらず、有罪判決は覆らなかった。しかし、ドノバンの手腕によって、アベルは死刑を免れる。「将来のスパイの交換に備えて、彼は生かしておかなければならない」という主張が通ったのである。それは現実のことになる…。

 しかし、ドノバンとその家族は、「敵をなぜ弁護するのか」という激しい世論のバッシングにさらされる。そんなとき、米偵察機U-2がソ連領内で撃墜され、パイロット、ゲーリー・パワーズ(オースティン・ストウェル)が拘束される。1960年のことである。一方で、ベルリンの壁の建設が進む東ドイツで、一人の大学生が拘束される。ベルリンの壁の建設が本格化し、「自由への飛躍」を行った東独兵士をピーター・レイビングが撮影したのは1961年だから、映画の時代設定もそのころにかけてと思われる。

 こうして、冷戦下のスパイ交換(民間人を含め、2対1)の交渉が始まる。しかし、当時、米国は東独を国家として承認していなかったとされ、「国対国」の交渉はできない。そこで起用されたのが、ソ連スパイの弁護で手腕を発揮した民間人ドノバンである。こうして彼は、交渉の舞台である東ドイツへと乗り込む…。

 スパイ戦、マッカーシズム、偵察機U―2、ベルリンの壁、東ドイツの廃墟…と、米ソ冷戦を物語る小道具が満載である。そして、監督、脚本、主演に「手練れ」がそろい、そつのない作品が出来上がっている。達者すぎて、少しまとまりすぎなのが不満であるほどだ。

 東ドイツでドノバンは、壁を越えようとして射殺される人たちを電車の窓から目撃する(本当はそんなことはなかなか巡り合わないと思うが)。一件落着して米国に戻ったドノバンは、電車の窓から、子供たちがフェンスをよじ登るところを見下ろしている。もちろん、何も起こらない。ここは自由の国だという「アメリカボメ」である。こんないやらしさもあるが、おおむねよくできた映画である。ちなみにいえば、この直後にケネディ大統領は国内の反共意識の高まりの中でベトナム戦争の泥沼に足を突っ込むことになる。2015年、アメリカ。

ブリッジオブスパイ.jpg


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