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時代が雁に追いついてきた~濫読日記 [濫読日記]

時代が雁に追いついてきた~濫読日記

「谷川雁 永久工作者の言霊」

永久工作者.jpg あるときは稀代のオルガナイザーであり、あるときはメタファーの達人、難解王として知られる詩人であった。その男は、ものすごい速度で時代を駆け抜けた。いや、時代のはるか先をいった。
 谷川雁。「原点が存在する」「東京へゆくな」のフレーズを残し、突如として思想の前線から消えた。

 こうした雁の姿と軌跡を新書版というかたちで極めて分かりやすく紹介したのが、この一冊である。あの難解な思想をここまで平易に語るには相当の悪戦苦闘があったであろうことは、容易に推測できる。その意味でも、貴重な著作である。

 著者は69年にテック入社、以後労組活動と取り組む。多少とも雁に関心を持ったことのある人間なら、この事実にある「意味」を見出すであろう。彼が思想の前線から消えたのは、筑豊の炭鉱から上京、言語の革新的な教育体系と取り組んだ「テック」に入社、「ラボ」システムの構築と「テューター」育成に力を注いだためである。

 この軌跡を見て、私たちは、「地獄の季節」を残し、奴隷商人に身を転じたランボオを重ねたものだった。しかし、著者は、こうした誤解に対し、テックの時代こそ雁の黄金期であったという。

 そのことに入る前に、もう一度、雁の軌跡を追ってみよう。戦後、彼は大学を出て西日本新聞社に入る。労組活動に従事、書記長の時に解雇処分を受け、ある詩人グループに所属。数々の詩を発表する。一方で共産党員として、各地でオルグ活動を行う。58年に森崎和江とともに中間市に移住、森崎、上野英信らとサークル村を立ち上げるが3年余で解散。ほぼ同時期に吉本隆明、村上一郎と同人誌「試行」を刊行。60年に共産党除名。この年、詩人廃業宣言。筑豊の大正炭鉱で大正行動隊を率い、60年安保のしんがり闘争を担う。その後、雁はテックに入社。最終的に経営者失格の烙印を押され、追放される。

 雁の軌跡は、追放の軌跡である。組織と個の軋轢が常にある。彼はいつも「下部へ、下部へ、根へ、根へ、花咲かぬ処へ、暗黒の満ちる処へ」と降りてゆくから、そこに「初発のエネルギー」を見出すから、組織にとっていつも「異端の民」になる。

 著者は、雁の思想の中に、柳田国男や折口信夫がかなりの比重を占めていることに注目する。おそらくそれは、雁の兄、谷川健一との交流の深さによるものであろうともいう。そこから、雁がなぜテックでの言語教育と、教材としての「国生み」の物語の創作にあれだけエネルギーを注いだかのなぞ解きをする。そこで著者は、テックのラボ・パーティーはサークル村の継承でもあったと位置付けている。つまり、新しい共同体への「『るつぼ』であり『橋』」として、両者はあったというのである。

 これは、私たちがこれまで抱えてきた雁のイメージを覆すものだ。私たちにとって「雁の思想」はテック以前で終わっていたからだ。しかし、ここでの雁の人物像は違っていた。雁はいつも、共同体としての「村」をみていた。そのイメージは、古代から発する、と著者はいう。だから九州一円を覆ったサークル「村」も、県境を越えて存在した。「近代」を「イメージ」で覆す作業が、雁によって行われていたのである。

 「原点は存在する」で雁はこういっている。

 ――人類はいまや断崖にのぞみ手にした原子力の鍵をもって、自らの命を断つか新しい太陽を呼ぶかに迷っている。始めか、終わりか、それは今世紀のうちに決するのだ。
 これは1954年に書かれた。著者によれば、「時代がようやく雁に追いついてきた」のである。

「谷川雁 永久工作者の言霊」は2014年、平凡社新書。880円(税別)。初版第1刷は2014年5月15日。松本輝夫は1943年、石川県生まれ。東京大文学部卒。在学中に筑豊で谷川雁と出会う。69年にテック入社。08年に退社後、谷川雁研究会を起こす。主な論考に「保田輿重郎覚書」。


谷川 雁: 永久工作者の言霊 (平凡社新書)

谷川 雁: 永久工作者の言霊 (平凡社新書)

  • 作者: 松本 輝夫
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2014/05/16
  • メディア: 新書

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