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「鶴見俊輔」を赤裸々に語る~濫読日記 [濫読日記]

「鶴見俊輔」を赤裸々に語る~濫読日記 

「戦争が遺したもの 鶴見俊輔に戦後世代が聞く」(鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二)

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  鶴見俊輔。哲学者。戦後言論界を牽引した一人であった。725日、93歳で亡くなった。月刊誌「思想の科学」を創刊し、「ベ平連」結成にかかわった。70年には機動隊導入に抗議し、同志社大教授をやめた。個人としても、鶴見祐輔を父に、後藤新平を祖父に持つというリベラル派政治家の家系でありながら、いや、それゆえにかもしれないが、不良少年の時代をすごしたのち、15歳で渡米しハーヴァード大に入学、アナーキズムにのめりこんだため、戦時には米国で留置場につながれ、帰国後ただちに戦地へ向かわされるという体験をした。

 その鶴見俊輔の思想を3日間にわたる鼎談の中で腑分けしながらあからさまにしたのが、この一冊である。語りの相手は上野千鶴子と小熊英二。上野は、いわゆる全共闘世代で鶴見とはひと世代違う。小熊はポスト60年安保世代。さらにひと世代違う。しかし、タイトルにあるように、鶴見の思想をのちの世代が「ありがたく」聞くという内容にはなっていない。時に辛辣に、鶴見の思想を批判する。特に「慰安婦」問題での国民基金に鶴見がかかわった件では、上野の舌鋒が鋭く、鶴見はぎりぎりのところまで追いつめられている。けっして予定調和ではなく、真剣勝負の鼎談である。それだけに3人の思想のありようが赤裸々なまでに現れているといえよう(もちろん、文章化の過程で、それなりの「整形」作業は行われているだろうが。ちなみに、起こされた文字の再編、再構成は小熊が担当しているようだ)。

 面白いのは「思想の科学」発行に際して、鶴見が哲学者、思想者としてより、編集者としての思い入れが深いことである。その中で「書き手の発掘」の妙味に触れ、映画評論家佐藤忠男の投稿を一字も直さず掲載した体験を語っているが(この件は佐藤自身もどこかで書いていた)、確かにこれこそ編集者冥利に尽きる体験であろう。業績として言えば「転向」研究3巻について自ら「いい仕事だった」と語っている。                                                                    

 おそらくはそうした「編集者」の視点で竹内好、丸山真男、吉本隆明らを論じているが、これが格段に面白い。丸山は一見、冷静なアカデミシャンだが、実は内側に狂気を潜ませており、そのために、同じく狂気を誘発しそうな橋川文三らは意識的に遠ざけたのだ、といった人物評は、そばで見ていたものでなければ分からない要素を含んでいる。あるいは竹内が戦争体験に関していう「ナショナリズム」の問題も、「あれはパトリオティズムであり、ひらがなの『くに』のことだ」という指摘も、問題を整理するうえで示唆を含んでいる。吉本については、一刻者だが常識豊かな人間で、谷川雁のほうが狂気を持っているとする。この点は、こちらに根拠はないが納得できる。

 小熊が、その吉本について「戦時中は皇国少年だった」とするイメージに反証作業を行っている。「<民主><愛国>」で書いているそうだが、なにせ高額な本なので未見であるが、当方も知らなかった事実である。それを考えると、小熊がなぜ吉本に若干の距離を置くかが少しわかる気がする。


 

 「戦争が遺したもの」は新曜社、2800円。初版第1刷は2014年3月10日。鶴見俊輔は1922年東京生まれ。戦時中はジャカルタに軍属として勤務。戦後、丸山らとともに「思想の科学」創刊。60年、安保改定に反対し「声なき声の会」に参加。66年、べ平連に参加、米脱走兵を支援▽上野千鶴子は1948年、富山県生まれ。東京大名誉教授。NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。女性学、ジェンダー研究。小熊英二は1962年、東京生まれ。慶応大教授。社会学。


戦争が遺したもの

戦争が遺したもの

  • 作者: 鶴見 俊輔
  • 出版社/メーカー: 新曜社
  • 発売日: 2004/03/11
  • メディア: 単行本


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