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「敗戦の否認」が招く戦後日本の劣化~濫読日記 [濫読日記]

「敗戦の否認」が招く戦後日本の劣化~濫読日記

「日本戦後史論」(対談・内田樹×白井聡)

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「日本戦後史論」は徳間書店、税別1500円。初版第1刷は228日。内田樹は1950年東京生まれ。東京大文学部卒。神戸女学院大名誉教授。フランス現代思想。「日本辺境論」(新潮新書)など著書多数。白井聡は1977年生まれ。一橋大大学院単位取得退学。博士。政治学社会思想史。20154月から京都精華大教員。



 

















 「街場の戦争論」で、日本の戦争の「負け方」に異議を唱えた内田と、「永続敗戦論」で、戦後民主主義に潜む虚構性を「敗戦の否認」と「対米従属」の二面性に見た白井の対談。白井はその先に「戦後民主主義のポテンシャルの枯渇」(笠井潔との対談「日本劣化論」)を見る。白井は「永続敗戦論」の中で、「3・11は『戦後』というパンドラの箱を開けてしまった」と書いた。ここでのキーワードは丸山真男の「無責任の体系」と「体制のデカダンス」である。この二つが、今ほどリアリティーをもって立ち上がる時代はないという。 こうした二人が「戦後」をテーマに語り合った。面白く、かつ刺激的にならないはずがない。

 対談の核心はおのずと、衝撃的ともいえた白井の「敗戦の否認」「対米従属」の指摘と、そこからくる戦後日本の欺瞞性へと向かう。このメカニズムの由来を白井は戦前、戦中の指導層が支配的地位にとどまるための策略だったとする。天皇制維持もそのためである。しかも、それは戦勝国米国にひれ伏すことでなければならなかった。それゆえに、日本が戦後、民主国家になったなどというのは虚構だったとする。

 しかし、冷戦は終わった。対米自立の好機であったはずだが、そうはならなかった。なぜか。戦後、支配的地位の確保を狙う層が、天皇=ワシントンという奇策を用いたからだ。求心力を持たなくなった天皇に代わって、検証不可能なブラックボックス、ワシントンの意思が忖度の対象になったのである。しかし、冷戦後の米国は、単一の「ワシントン=大御心」では動かなくなっていた。だから、日本は対米従属の一方で右往左往せざるを得ない状況が生まれた。「小物たちの忖度」が日本の政治を劣化させている(内田)のである。

 一方で、安倍晋三首相は一見、安保を基軸に強硬と思える路線を取っている。しかし、内田はこう見る。「あの強硬なイデオロギー外皮は作り物だ(略)あれは外付けの甲冑なんです(略)重くて苦しい(略)もう脱ぎたいんです」。では、脱ぐにはどうしたらいいか。「全部チャラになるような事態を招き寄せればいい」。かつて日本が破滅へと向かった、あの戦争の時代のように、である。

 内田は、日本の近代史を40年ごとに区切る司馬遼太郎の説に触れる。これは、「街場の戦争論」でも展開されている。明治維新から日露戦争までを「坂の上の雲」の時代、それから40年間を、陸軍参謀本部による「鬼胎」の時代、その後の40年間を戦後とし、鬼胎の時代(戦争の時代)だけがまっとうでなかった、とする(「この国のかたち」)。しかし、内田はそこに「戊辰戦争のルサンチマン」を見る。賊軍とされた人たちが官軍の人脈に対して企てた「明治レジームの脱却」こそが戦争の正体だったというのである。だとすれば、「戊辰戦争のルサンチマン」を否定すべく、新たな破局を、長州人脈の安倍晋三が企てていると、現況を読めなくもないが、それは議論を矮小化させることになるだろう。

 「対米従属」と「敗戦の否認」がもたらす日本の戦後構造は「のれん分け」に通じる思想でそれなりの複雑さは持ちえたのだが、いまや劣化した日本の政治はその構造さえも維持できなくなったと内田は指摘する。安倍がやっていることといえば、この二つの側面を交互に出すことだけである。だからあるときは米国に必要以上にひざまずき(たとえば沖縄の米軍基地政策)、あるときは米国を怒らせる言動(たとえば靖国参拝)をとる。これは一種の人格乖離であり、安倍という政治家のペルソナ的ノイズのなさにも通じているという。この振れ幅が最大になった時が怖い、ということだろう。


 

日本戦後史論

日本戦後史論

  • 作者: 内田樹
  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • 発売日: 2015/02/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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