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人間とマシンの対決~映画「イミテーション・ゲーム」 [映画時評]

人間とマシンの対決~映画「イミテーション・ゲーム」

 とにかく面白い。この映画の登場人物の口調をまねれば「面白い」の158乗ぐらいの面白さがある。その面白さの第一は、英国の天才数学者アラン・チューリングの光と影を演じるベネディクト・カンバーバッチの力量にある(この映画は米誌「タイム」の2014年俳優による演技トップ1に選ばれたという)。

 しかし、主役は実は、彼一人ではない。もう一方の主役は、第2次大戦当時、ナチスドイツの手になる「傑作」と言われたエニグマである。電気式暗号製作機。複数のローターによって、文字を一つずつ変換していく。それを解読するには、気の遠くなるほど膨大な数のパターンを試さなければならない。つまり、これは電気仕掛けの機械と人間の対決の物語である。先日、将棋電王戦が行われ、コンピューターに対して人間の形勢不利が伝えられたが、その戦時版である。ただ、現代のコンピューターに比べれば、この暗号機は初期の初期といったものではあるが。

 人間対マシンという構図だからこそ、そこでは英国の諜報機関MI6をめぐる人間社会の指揮命令系統や組織論などくそくらえのストーリーが展開される。マシンに打ち勝つ世界を作り上げたものだけが、ここでは勝者となるのである。そうした闘いの中で展開される内面と外界の「ずれ」、あるいは「バリア」を、カンバーバッチは見事に演じる。セリフではない。目の動き、微妙な表情の一つがそれを表現する。登場するのは世界的と目された数学者だが、これは音楽家、あるいは画家であっても違和感はなかったであろう。

 しかし、一つ違っているのは、芸術家であれば遅かれ早かれ作品の価値は世情に受け入れられるものだが、アラン・チューリングが担った「暗号解読」は、それが達成された途端にそれ自体が「軍事機密」となってしまうというジレンマである。それゆえに、彼とそのスタッフは暗号解読文を手にしながら、Uボートによる攻撃を手をこまぬきながら見ている、という局面に立ち会わざるを得ない。

 物語が単に人間とマシンの勝負のそれであれば、結末は幸福であったに違いない。しかし、「戦争」という悲劇が絡むことでアラン・チューリング自身が悲劇的結末をたどる(後に名誉は回復されたが)、そこに真の人間のドラマが潜んでいるという筋立てに、冒頭で述べた「面白さ」の意味が込められているように思うのだ。

 イミテーションゲーム.jpg


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