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「生活」をとらえる視線の凄さ [濫読日記]

「生活」をとらえる視線の凄さ~濫読日記

「成瀬巳喜男 映画の面影」(川本三郎著)

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「成瀬巳喜男 映画の面影」は新潮選書。1200円(税別)。初版第1刷は20141217日。著者の川本三郎は1944年東京生まれ。文学、映画などで評論活動。著書に「大正幻影」のほか、「マイ・バック・ページ」「今ひとたびの日本映画」など。



 
















 川本三郎には「大正幻影」という一冊がある。東京の街に大正期の面影を追った作品だが、そこでは隅田川が頻繁に出てくる。読み進むと、路地裏へのこだわりも見える。

 「流れる」は隅田川と路地を映像の基調にした映画である。監督は成瀬巳喜男。この監督をメーンに据えた映画評論を川本が出した。なぜ成瀬にこだわったかは聞かなくても分かる気がする。「大正幻影」と「流れる」との間には、共通する感性の水脈がみてとれる。

 「成瀬巳喜男 映画の面影」を読みながら、あらためて成瀬作品を何本か観た。川本の示唆するものが投影され、作品の底の深さが感じられたのは望外の幸せであった。

 「流れる」では、隅田川が冒頭に登場する。柳橋の置屋に、一人の女性が家政婦として勤め始める。彼女の視線を通して柳橋の芸者たちの生きざまが浮き彫りにされる。山田五十鈴や高峰秀子、岡田茉莉子らきれいどころや杉村春子ら芸達者が集うが、華やかなお座敷シーンは出てこない。浮ついたシーンはなく、生活に密着したカメラ視線が特徴的な映画である。

 他に観たのは「女が階段を上る時」「乱れる」「山の音」。「女が―」は交通事故で夫を失った未亡人が、銀座の雇われマダムとして生き抜く姿を描いた。騙され、捨てられ、病の床に伏せっても「階段を上り続ける」一人の女性の美しい姿が印象的である。実際、この映画での高峰秀子は美しい。しかし、高峰の美しさといえば、「乱れる」の秘めた恋に揺れる彼女の横顔こそ筆頭に挙げられるべきだろう。半年の新婚生活の後、戦死した夫に殉じて嫁ぎ先の酒屋を切りまわし18年。近所にはスーパーがたち、時代の歯車が回る。もう居場所がないと悟って、東北の実家に帰る決心をするが、義理の弟から予想外の告白をされ、揺れながら温泉宿へ向かうが、最後の一線は越えられない…。

 「山の音」は、成瀬らしからぬ作品である。舞台は鎌倉。小さな会社だが、重要な位置にある父。息子もまた同じ会社に勤める。ある日、その息子に妻とは別の女性がいることが分かる。父は、その女性の元へ向かい、別れさせようとするが…。妻役として原節子が出たりで、一見すると小津安二郎の味わいである。成瀬の他の作品のような「貧乏臭さ」がない。しかし、小津なら絶対にしないような描き方がある。息子の女性の、父への応対である。父は別れさせるためカネを渡そうとする。女性は「手切れ金ね、受け取り書きましょうか」と怒りに震える目で言い放つ。

 成瀬が描くのは、いつも女性の美しさである。着飾ったり、装飾品を身につけたり、ではなく、自力で生き抜こうとする芯の強い女性の美しさである。

 しかし、小津や黒澤に比べて成瀬はこれまで、脚光を浴びることが少なかった。作風が地味すぎると世評で語られたためだが、今それが魅力として見直されているのは、皮肉ともいえる。川本は、この本の「あとがき」でこう書いている。

 ――黒澤明は大仰すぎた。小津安二郎は立派すぎた。溝口健二は女性の描き方に抵抗があった。(略)地味で静謐な成瀬の世界が一番しっくりいった。木綿の手ざわりといえばいいだろうか。

 この視線を裏付けるエピソードを、川本は紹介している。「女が―」など成瀬作品5本に出た仲代達矢への、成瀬の言葉。

 ――「つまらんテクニックは使わなくていい。なるたけ静かに演技してね。(略)黒澤君のところでやっているみたいな、ああいう大げさな芝居しないで」

 このアドバイスは、小津が出演者に演技をさせないようにしたのと似ているようでもあり違っているようでもある。小津の場合は、小津自身が俳優よりも前に出ることを望んだ結果のように見える。成瀬の場合、小津よりも出てくる女性たちが輝いている。ただ、男はほとんどの場合だらしないが。

 ところで、成瀬が一貫して描こうとしたものはなんだろうか。川本はこの点について鋭い指摘を行っている。

 ――成瀬巳喜男の凄さは、昭和二十年八月十五日で日本の社会が大きく変わったのに、その趣向、好みが一貫して変わっていないことだろう。(略)好みは思想やイデオロギーより強いと思わざるを得ない。

 言い換えれば、滅び、すたれゆくものへの哀惜である。同時にそれは、地に足のついた生き方をしてきたものこそ強い、という確信であろう。いったんは「小津は一人でいい、二人はいらない」と城戸四郎に軽視された成瀬作品に川本が着目し、一冊にまとめた「意思」とはなんだろうか。時代との関連で考えてみる価値はあるだろう。

 成瀬は、正面から「戦争」を描く作品はつくらなかった。しかし「乱れる」をはじめ、戦争の影が落ちた作品は多い。川本はそこに「無数の死者」たちをみ、その思いが、成瀬作品の「慎ましさ」につながっていると書いている。

成瀬巳喜男 映画の面影 (新潮選書)

成瀬巳喜男 映画の面影 (新潮選書)

  • 作者: 川本 三郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/12/22
  • メディア: 単行本

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