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20,000,000票のさまよえる民意 [社会時評]

20,000,000票のさまよえる民意


 今年も残りわずかとなった。来年はおそらく日本にとっての重大な岐路が待ち構えているだろう。安倍晋三政権は12月衆院選の結果をもって民意は確定したとし、大きな政治判断を下すだろう。しかし、安倍政権は正統な民意の集積の上に成立した政権なのか、大きな疑問がある。いい方を変えれば、民意と政権の「ねじれ」こそが問題なのではないか。

 ■□□政治的課題とは

 政治的課題を考える前に、今の政党分布図を俯瞰してみよう。自民、公明、維新、次世代、みんなは安保政策、憲法、新自由主義への対応において大差はない。共産、社民、生活はこれらの課題で対決軸を持っているが、共産を除けばいかんせん勢いがない。民主はこの点、まだら模様である。

 安保政策は、米ソ冷戦後の独自路線=ポスト対米追従=を考えるべきである。そのうえで、沖縄の基地問題も論じられなければならない。憲法を巡っては、「一言一句変えてはならない」という主張は市民運動としては成り立つが、議論としては冷静な対応が必要である。不毛の二者択一の議論ではなく、内容に踏み込む勇気が必要だろう。新自由主義やトリクルダウンの理論に対しては、明らかな対案が必要である。1%の富裕層が99%の貧困層に施しをすることで、社会の公正が守られるなどという主張が、政治の大勢であってはならない。

 以上の観点からすれば、中道左派のリベラル路線(いまどき「左派」などという言葉は死語のようにも思うが)が、少なくとも自民の対抗勢力として存在していなければならない。現行小選挙区制は投票結果に過度のバイアスをかける制度であるから(政権の安定を優先的に考えた制度であるともいえる)、その結果、生じた「影」の部分(たとえば社会的格差の拡大)を修正するシステム的担保が必要である。それがすなわち、二大政党制であろう(二大政党制が日本の政治風土に向いているかどうかは別の議論である。私自身はあまり向いているとは思わないが)。共産党の不破哲三元議長は1226日付朝日新聞で「二大政党制は絵に描いた餅」と批判したが、現行の選挙制度が存続する限りは、石にかじりついても二大政党制にするしかない。不破氏の評論家的言説は、共産党がどれだけ伸長しようとも政権奪取に至らないことが自明である以上、自民党政権の固定化に与するものだ。

 □■□「ねじれ」を生んだ政治システム

 では、憲法、安保、新自由主義を対抗軸とし、自民と拮抗するリベラル政党は可能なのか。一言で言えば、その政治的土壌はあると考える。

 その根拠は、過去3回の衆院選で明らかになった、2000万票の流砂のような票の存在である。この2000万票をまとめることができれば、政権を左右する政治状況が生まれると確信する。そのことをデータで見てみよう。

 過去3回の選挙で、自民は議席数だけで見れば政権から転落→奪取(圧勝)→維持(圧勝)と、ジェットコースターのような境遇にあったが、獲得票数を見れば、小選挙区、比例区とも横ばいないしは下降線である。現在の有権者総数は1億人強なので、仮にこれを1億人と丸めると、今回衆院選での絶対得票率は小選挙区25%、比例区18%(いずれも四捨五入した数字)である。この得票で、自民は衆院の6割を超す議席を占めた。なぜこんなことになるかは、さんざん書いてきたのでここでは書かない(要は小選挙区制における死に票の多さがもたらす問題である)。

 重要なのは民主の票の推移である。民主に肩入れしてのことではない。ここに、さまよえる大量の民意の足跡があると思うからである。

 民主が政権をとった第45回衆院選(2009年)で民主は小選挙区3348万票、比例区2984万票を得た。その後の2回の選挙では、小選挙区1360万、1192万票、比例区900万票台である。つまり、約2000万票が動いた。では、その塊はどこへ行ったか。

 46回衆院選(2012年)で特徴的なのは、「維新」「みんな」「未来」を合わせた、いわゆる第三極が2000万票をとったことである。もちろん、民主から逃げた票がそのまま第三極に行ったといえるほど単純なことではない。最も大きいのは、前回と比べ10%下がった投票率である。この10%は約1000万票にあたる。46回衆院選で共産は、比例区は減ったが小選挙区は6割増の470万票を得ている。

 つまり、民主党政権に失望した有権者は①投票に行かなかった②第三極に入れた③一部は共産に入れた―という動き方をしている。45回から46回にかけて、自民票は小選挙区では減っている(比例は46回から47回にかけて微増)。つまり、民主に失望した人たちは自民に入れたわけではない。

 では、今回の47回衆院選(2014年)は、前回と比べどうだったか。特徴的なのは、第三極と目される勢力が約1000万票減ったことである。この票はどこへ行ったか。投票率をみると、前回より約6.7%減っている。票数にして約670万票である。さらに、共産は小選挙区、比例区とも200万票以上伸ばしている。自民は比例区で100万票増だった。民主は小選挙区で減らし、比例区は微増だった。

 この結果から分かるのは、有権者が選択肢と考えたのは自民、共産で、それ以上に多くの人たちは棄権に回った。ここで押さえておきたいことは、共産は元々組織政党だが、今回の伸びしろは、浮動票によるところが大きいということだ。「他に入れるところがない」票が、一定程度共産に集まったということで、ここは読み違えてはいけない。

 日米安保堅持、自主憲法制定、新自由主義推進という自民補完物としての「第三極」にはもう用はないと有権者は見ている(「次世代の党」の惨敗が象徴的だ)。しかし、自民と共産の対決が、拮抗する勢力図につながるとは考えにくい。つまり、このままでは自民政権の安泰が続くだけ、ということになる。

 □□■では、どうするか

 結果として今回の選挙で笑ったのは、自民、公明、共産だった。いずれも組織を持つ政党である。しかし、こうした傾向が続くのはよくない。どこかの政党に属し、党費を払う人間(政治のプロ)の主張が通って、非政党的市民はどんどん関心を失っていく。こんな政治がまかり通っていいわけがない。それどころか、これはジョージ・オーウェルの「1984」の世界につながる。「政治のプロ」ではなく「政治の素人」が共感する政治が求められている。その「共感する政治」を求めている有権者は2000万人おり、それらの人たちの感性にフィットする政策(その課題は冒頭に掲げた)を訴えれば間違いなく流砂は動く。そうでない限り、「民意と永田町のねじれ」は解消しない。

 その意味では、民主党は(もう期待する方が無理かもしれないが)、いったんは解党的事態になろうともリベラルに特化すべきである。その上で政治状況から消え去るのなら、それはそれでやむを得ない。そうなれば、民主党の墓碑銘のうえに新たな「リベラル」の旗がたてられるだろう。

衆院選動向1.JPG 

過去3回の衆院選での各党の消長(小選挙区) 


 衆院選動向2.JPG

過去3回の衆院選での各党の消長(比例区)

 衆院選動向3.JPG

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