甦ったスパイものの王道~映画「誰よりも狙われた男」 [映画時評]
甦ったスパイものの王道~映画「誰よりも狙われた男」
ベルリンの壁崩壊以来、スパイ小説(スパイ映画)は、アクションシーンを除いて成り立たないと思っていた。ジョン・ル・カレ原作の映画化として「裏切りのサーカス」(2011年、英仏独合作)があったが、あくまで「米ソ冷戦」の時代のストーリーであり(原作は、ソ連の二重スパイが明らかになったキム・フィルビー事件に題材をとったスマイリーシリーズの中の「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」)、日本でいえば時代劇の趣があった。ポスト冷戦を踏まえてカレは「リトルドラマーガール」で、欧州テロ事件追及のため、英国の女優がパレスチナに潜入する、という物語を書いたが、今一つ底が浅くリアリティが感じられなかった。
この「誰よりも狙われた男」」(2013年、米英独合作、アントン・コービン監督)はどうであろうか。
主人公であるたたき上げのスパイ、ギュンター・バッハマンに扮するフィリップ・シーモア・ホフマン(今年2月に死去)は、苦み走ったいい男でもなく、アクションがこなせるわけでもない風采の上がらない中年男である。ある日、チェチェン過激派と目されるイッサ・カルポフなる密入国者に目を付ける。彼はなんのため、このハンブルグに来たか…。ちなみにいえば、ハンブルグの街はカレの名作「スマイリーとその仲間たち」の主な舞台でもあった。
イッサ・カルポフを追ううち、彼の出自に絡む巨額のカネの存在が明らかになる。その資金が眠る銀行の経営者トミー・ブルーにウイレム・デフォー。最近「グランド・ブダペスト・ホテル」でお目にかかった。とにかくこの人はあちこちの映画によく出る。そういえばテオ・アンゲロプロスの「エレニの帰郷」にも出ていた。
これに、ある慈善事業団体の若い女性弁護士アナベル・リヒター(レイチェル・マクアダムス)が絡み、さらにはドイツ諜報機関内の主導権争いが加わって、バッハマンはその中で翻弄されていく。そのうえCIAベルリン支局が参戦するから、ますます話はややこしくなる。
バッハマンは、とりあえずイッサ・カルポフを泳がせることで、ある大物を網にかけようとたくらむ。イスラム宗教学者ファイサル・アブドゥラである。彼は宗教への理解と慈善事業の拡大に力を注ぐが、その裏に何かがあるとバッハマンはにらんでいる。そして、最終的にイッサ・カルポフとファイサル・アブドゥラはつながっていく…。
しかし、最後の局面で、バッハマンはCIAの巨大な掌で自身が泳がされていたことに気づくのである。
ジョン・ル・カレが描こうとしているのは、普通の人間たちのリアルな諜報戦であり、そこから見えてくる人間の心のひだである。「ベルリンの壁」はなくなったが、プロットの主要舞台を「テロとの戦い」に転換させることで、この「スパイ小説の巨匠」は甦ったかのように見える。そして、フィリップ・シーモア・ホフマンが主演するこの映画もまた、カレの原作の「味」をよく伝えているようだ。ただ、映画「裏切りのサーカス」の細密画の趣には少し及ばないが。
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