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戦後史を読み解く手掛かり~濫読日記 [濫読日記]

戦後史を読み解く手掛かり~濫読日記

「暴力的風景論」(武田徹著)

 暴力的風景論_001.JPG「暴力的風景論」は新潮選書、1200円(税別)。武田徹は1958年生まれ。ジャーナリスト、評論家。恵泉女学院大教授。著書に「原発報道とメディア」など。 












 著者は、「風景」とは「現実世界と私たちの間にある虚実折り重なった皮膜だ」という。純粋なファクトではないが、もはや我々はこの「虚実ヴェール」を通してしか現実が見られなくなっている。著者はそれを、一種のフィクションととらえているが、むしろそれは擬制のようなものととらえてもいいのかもしれない。

 この観点から、著者は戦後史の「風景」のいくつかを読み解く。沖縄、連合赤軍、田中角栄、宮崎勤事件、オウム真理教、酒鬼薔薇事件、秋葉原連続殺傷事件。著書の真ん中あたりに、村上春樹の「ノルウェイの森」の解読が配置してある。他の章が現実の事件・出来事をテーマにしているのに対して、なぜ村上の小説が同列のものとして取り上げられたか。

 その意味を解くとすれば、こういう道筋になるだろう。

 ジョージ・オーウェルの「1984」で描かれた「ビッグブラザー」が退場して久しい。いわゆる、イデオロギーと権力が支配する世界である。それにつれて、「大きな物語の凋落」が始まった。大量消費社会の拡大で、私たちの周りは均質の「まがいもの」で取り巻かれている。その中で「生きる」感触を得るために、私たちは記憶のフックを求める。それがアニメの世界であったり、フィギュアの世界であったり、ネットの世界であったりする。「小さな物語」にひたる大量の「リトルピープル」の出現である。このことを解き明かすため、著者は村上論を、書の中央に据えている。

 沖縄は二つの地図を持つ。一つは本土からの観光客が持つパンフレット。もう一つは沖縄の人たちが持つ、「基地の島」の地図。二つは交わることがない。むろんこれは日米の支配者たちが、平和主義憲法と日米安保を両立させるため沖縄に忍従を強いた結果である。

 もちろん、著者の関心はそうした表面上のことにとどまらない。ポップアーチスト村上隆のある文章に着目する。彼はこういう。日本は敗戦によって傀儡政権に甘んじていたため、「国」の概念、パソコンでいうOSがインストールされなかった。そのため国家に対するリアリティが持てず、相対化された個人主義ではなく幼児的なスーパー個人主義が育まれてしまった…。

 沖縄を含め、田中角栄と連合赤軍は、この書で扱った「物語」の前史にあたる。角栄は技術万能主義の破綻であり、連合赤軍は大量消費社会に対して、暴力でしか対抗するすべを持ちえなかった人たち。

 この書の中で、村上が自らの故郷を再訪し、埋め立てられた海岸跡に建つのっぺりとした高層住宅群を見上げて「まるで巨大な火葬場のようだ」と書き、そのあとで突如暴力的な感慨を持ったという文章が紹介されている。均質化社会に対する暴力の欲望。そこからつながる「死」のイメージ。「ノルウェイの森」にあるのは、二人の女性を巡る生と死の交歓の風景である。

 こうした視線を読者と共有しながら、著者は宮崎、オウム、酒鬼薔薇、そして秋葉原事件を解読する。野心的な一冊である。

暴力的風景論 (新潮選書)

暴力的風景論 (新潮選書)

  • 作者: 武田 徹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/05/23
  • メディア: 単行本






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