戦後を始めるための戦中派の「わび状」を見る~濫読日記 [濫読日記]
戦後を始めるための戦中派の「わび状」を見る~濫読日記
「今ひとたびの戦後日本映画」(川本三郎著)
「今ひとたびの戦後日本映画」は岩波現代文庫。定価1000円(税別)。初版第1刷は2007年7月。川本三郎は1944年東京生まれ。91年、「大正幻影」でサントリー学芸賞、97年「荷風と東京」で読売文学賞、2003年「林芙美子の昭和」で毎日出版文化賞。映画批評家として著書多数。 |
経済白書が「もはや戦後ではない」としたのは敗戦から11年たった1956年だった。成田龍一著「『戦争経験』の戦後史」は、敗戦から20年間、つまり1965年までを「体験の時代」と呼んでいる。戦争が「現在」であったのが1945年までとすれば、1965年までは日本国民が戦争を「体験」として共有した時代ということだ。成田はその後の1990年までを「証言の時代」、さらにその後を「記憶の時代」と位置づける。
この時代区分に沿って語れば「戦争」が「体験」として共有された時代のちょうど折り返し点にあたる頃、1954年は、戦後日本映画の一つのピークであったと、川本三郎は言う。例えば彼はその年のキネ旬ベスト10から「二十四の瞳」「女の園」「七人の侍」…をあげ、「まさに黄金時代と呼ぶにふさわしい」としている(「今ひとたびの―」あとがき)。
なぜ、この時期に戦後映画の傑作がそろったのか、というのが、この「今ひとたびの―」を書く大きな動機だったと考えられる。言い換えれば、この時期の多くの映画が戦争の影を色濃く引きずりながらも、一方で民主主義への希望をその視線の先にとらえており、「光と影」が映画に陰影を与えていた、ということだろう。
川本は、もちろん「民主主義=希望の光」にも言及しているが、圧倒的に「戦争=傷と影」の抽出に多くのエネルギーを割いている。
目次からピックアップしてみると、「影」にあたるのが「戦争未亡人」(注)、「復員兵」をテーマにした前半部分、「光」にあたるのが「白いブラウスの似合う女の先生」「愉しい民主主義」などである。この二つの間に「ゴジラはなぜ暗いのか」の1章がある。
「戦争未亡人」で、川本はまず田中絹代に焦点を当てる。彼女には、1944年につくられた「陸軍」(木下恵介監督)がある。戦時の国策映画でありながら、反戦的色彩を持つ作品といわれる。ジョン・ダワー著「昭和」もこの作品に触れ「特攻兵になる息子を送りだす母親の絶望を、心が痛むような調子でたたみこむように描く」「人びとの目の前で(戦争の)神話が砕け散りつつあるという鮮烈な印象を禁じえない」と書く。
その田中絹代は戦後、ある種必然的な流れとして多くの作品で「戦争未亡人」を演じている。川本はこの書で「不死鳥」(47年、木下恵介監督)、「夜の女たち」(48年、溝口健二監督)、「煙突の見える場所」(53年、五所平之助監督)を三部作としてあげ、バリエーションとして小津安二郎監督「風の中の雌鷄」(48年)に触れる。なぜ、田中は「未亡人」を数々演じたか。戦前からの連続性の上に立ち、敗戦直後、精神的にも物質的にも大衆が苦しんだ時代に大衆と同じ地平で「不幸」を演じられる女優、「不幸の共同体」意識を共有できる存在が田中であったと、川本は言う。
「復員兵」を戦後社会の「異物」として描いたのは黒澤明だった。「野良犬」(49年)では追う刑事(三船敏郎)、追われる犯人(木村功)ともに復員兵である。「酔いどれ天使」(48年)では、特攻あがりの復員兵を三船が演じる。命を賭した経験を持ちながら、時代はそれを一顧だにしない。復員した彼らも、戦後民主主義に溶け込むにはあまりにも多くの屈託を抱える。そうした彼らが無意味に死んでいけばいくほど、大衆は共感する。戦後の出発にあたって無念と絶望がスクリーンを通して共有されたのである。
川本はこの書で「ゴジラはなぜ『暗い』のか」という1章を設けている。「ゴジラ」の1作目がつくられたのは54年、本多猪四郎監督によってであった。冒頭に上げた映画黄金期の時代である。この年の3月にはビキニ環礁で水爆実験があり、映画が公開されたのは11月。太平洋の海中深く眠っていた太古の怪獣ゴジラが水爆実験によって目を覚まし、東京を襲うという設定である。ここで「ビキニ」以上に「戦争」が影を落とすと見るのが川本である。「怪獣映画」としてより「戦争映画」としてとらえている。さらにいえば、「戦災」映画だという。これらはしかし、映画の視覚的な側面である。この映画をとらえる彼の視線の最大の特徴は、実は映画のラストシーンへの意味付けにある。
ゴジラがゆっくりと海へ沈んでいくシーンを見て、川本は戦艦大和の姿さえ想起する。そしてそこに、太平洋に沈んでいった多くの兵士の「鎮魂歌」を聞くのである。川本はそこに、戦後が出発するにあたっての戦中派の「わび状」を見ているのである。
※「戦争未亡人」は、今日では女性に対する差別的意味合いを含むとして使用が控えられている。著者は「ひとつの歴史的用語として使用した」と断っている。
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