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逸脱・漂泊・回想の視線~「旅芸人の記録」 [映画時評]

逸脱・漂泊・回想の視線~「旅芸人の記録」


 現代ギリシャを舞台にした壮大な叙事詩「旅芸人の記録」を観た。4時間近い長編に接するのは、数えてみれば3度目である。初めは1970年代の公開のころ。2度目は監督テオ・アンゲロプロスが不慮の事故で亡くなった直後の昨年。そして今回である。アンゲロプロスの遺作「エレニの帰郷(原題「The Dust of Time」)」の公開に合わせた上映である。

 ギリシャの現代、1939年から52年までの荒涼とした風景を横断的に映し出す。「荒涼」とは曇天と荒地の、ギリシャの風土を指すにとどまらない。ナチス・ドイツの侵攻に始まり、ドイツ撤退による束の間の解放の喜びとそれに続く「血の日曜日」事件とアテネ内戦、ヴァルキザ合意によるパルチザンの武装解除―。忍従と裏切りが渦巻くギリシャ民衆自身の心象風景こそが荒涼なのだといえる。

 そうした歴史を背景に、漂白する旅芸人の一座が文字どおりの主役である。はじまりは1952年のエギオン。街は総選挙を控えて騒然としている。直後のパパゴス政権誕生を暗示させて、舞台は1939年に移る。ここから戦時下を旅する一座の苦難が描かれる。41年にはドイツ侵攻によってギリシャが支配され、抵抗するパルチザンは次々と拘束される。その中で座長のアガメムノンも、パルチザンの身代わりとして銃殺される。そして44年、ドイツ撤退によって国民統一政府が成立。民衆は一時的な歓喜に酔う。しかし、それも長くは続かない。

 ギリシャ国内に急速に共産主義者勢力が伸び、革命の機運が高まると、ドイツとの戦いを支えた英国は王政復古派の支援に回る。こうして1949年までの長い内戦が始まる。戦時よりも、この時の内戦の方がギリシャ人の犠牲者が多かったと言われるほどの激しい戦いであった。

 こうした時代の荒波を経て、最後のシーンでは冒頭と同じエギオンに降り立った一座を映し出す。ただ、違うのはその年代である。冒頭は1952年だが、最後は1939年。時の流れを逆転させたこの演出は何を意味するか。おそらくはギリシャを包む輪廻転生、永遠の時の流れこそが表現されているのであろう。

 あらためて言えば、この映画の主役は、なぜ「旅芸人」でなければならなかったか。階層秩序からの逸脱、失われた故郷、漂白と回想、その中でのみ、この壮大な叙事詩は成立し得るのであり、そのために彼らは「旅芸人=The Travelling Players」の視線の持ち主でならなかったのではないか。1975年製作。

 旅芸人の記録.jpg

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