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旅におぼれて~現代史の現場を歩く④~ベルリン㊤「壁」の記憶 [旅におぼれて]

旅におぼれて~現代史の現場を歩く④~

ベルリン㊤「壁」の記憶

 

 その壁は、予想したより薄かった。厚さ20㌢ほどだろうか。高さは、そばを歩く人の背丈から推測して4㍍ぐらいに見えた。たったこれだけの壁が〝鉄のカーテン〟などと呼ばれ、世界を二分したのだ。むろん、壁はいくつかの種類があり、1989年に破壊された時のニュース映像を見ると群衆が壁の上部に上がっていたから、幅は1㍍ほどはあったかもしれない。私が見たのはベルリンの東南、通称「イーストサイドギャラリー」と呼ばれる川沿いの壁の跡だった。「ギャラリー」と呼ばれるのは、冷戦終結後、そこに様々な絵が描かれたためだ。その中の1枚はブレジネフ書記長とホーネッカー第一書記を描いた「兄弟のキス」と呼ばれる絵だ。もちろん、いまとなっては皮肉だけが込められている。

 ベルリンを取り巻く壁のうち、北部にある壁の跡を見に行った。そこで懐かしい一枚の写真に出会った。東ドイツの兵士が鉄条網を飛び越えて西側へ逃亡する瞬間の写真である。この写真が、ビルの白壁に大きくプリントしてあった。撮影したのはピーター・レイビング。ドイツの写真家で、このとき20歳だった。撮られたのはコンラッド・シューマン。このとき19歳だった。彼は1961年8月13日から始まった「壁」の建設に駆り出された。3日目、「こっちにおいで」という声に引き寄せられるかのように、まだ鉄条網しかなかった「境界線」を飛び越えた。このメモリアルがあるのはベルナウアーストリートと呼ばれる一帯である。もちろん、彼が自由へと飛翔した場所の近くに、この写真はある。

 ベルナウアーストリートをまっすぐ南に下ると、「壁」の外国人専用検問所、通称「チェックポイントチャーリー」がある。もちろん、いまは機能していない。しかし米軍の制服を着た男性が立ち、列をなした観光客が次々と記念写真を撮っている。そばには各国の軍帽が置いてあり、ちゃっかり観光スポットを気取っている。そこから数㍍離れた場所には「壁博物館」がある。民営なので外見は普通のビルで、入口はとても分かりにくい。しかし、いったん入ると写真やら小道具やらが所狭しと並べられ、見ていて飽きない。あっという間に時間が過ぎていき、入場者も随分多い。

 

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ベルリンの壁は、思ったより薄かった。こんなものが世界を二つに割ったのだ

 

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ブレジネフとホーネッカーの「兄弟のキス」。今となっては悪い冗談だ
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 鉄条網を越える東ドイツ兵士。冷戦時代の象徴的写真だった
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年代ごとに壁の歴史を写した写真がプリントしてある
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公園風に整備された空間に「壁」の歴史を語るプレートが立てられている
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「壁博物館」の内部。写真や小道具で雑然としている
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「壁博物館」の内部。写真や小道具で雑然としている

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チェックポイントチャーリー跡。今は完全な観光スポットだ

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