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旅におぼれて~現代史の現場を歩く③~アウシュビッツ㊦ [旅におぼれて]

旅におぼれて~現代史の現場を歩く③~アウシュビッツ㊦ 


ハンナ・アーレントの「イェルサレムのアイヒマン」によると、ナチはユダヤ人殺戮について周到な用語規制を掛けていたと言う。だからナチの書類に「絶滅」や「殺害」という用語が出てくることはめったにない。それは「最終解決」「特別措置」として語られ「移動」さえも「住所変更」とされる。そのうえで「ガス殺」さえも「安楽死」の延長線上の措置として、医学上の概念として語られたのだという(ハンナ・アーレントによれば「不治の病人には慈悲による死が与えられるべきである」というヒットラーの布令が、ガス殺の着想を生んだという)。

ありえないことを、想像しなくてはならない。もし優位性を持つ民族と劣等民族がこの世にいたとして、優位性のある民族を殺害することと劣等民族を殺害することの意味(もしくは罪の深さ)は違うのか。

アウシュビッツ・ビルケナウ国立博物館の統計によると2012年のアウシュビッツ入場者は過去最高の143万人だったという。アジアでは韓国の4万6千人が最も多く、同年に1849万人という過去最高の海外旅行者を記録した日本からは、わずか1万人である。韓国の人口が日本の半分以下であることを考えると、人口比では約10倍の開きがある。この差はなんであり、なぜこのようなことになるのだろうか。

ガイドの中谷さんは「アウシュビッツはドイツだけでなくEU全体の問題としてとらえられ、EUの歴史教育の中心になっている」と話した。日本の「戦争」がこのような形で、アジア全体で語られる日は来るのだろうか。

ハンナ・アーレントは「全体主義の起源」で「忘却の穴」という言葉を使う。ユダヤ人大量虐殺は、彼らを「忘却の穴」に落とし込める行為だった。それは、単に生命の抹殺にとどまらない。歴史上、ユダヤ人と称される人たちがいなかったかのように、痕跡を消しさる行為である(小玉重夫「難民と市民の間で」などから)。

「忘却の穴」は、おそらく現代社会にも続いている。そこのあなた、「忘却の穴」に落ちそうに(あるいは、落とされそうに)なったことはありませんか。

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ガス室。収容者には「シャワー室」と説明され、一度に数百人が詰め込まれた。しかし、頭上から降り注ぐのは湯や水ではなく、チクロンBだった。「夜と霧」によれば、すすり泣く声やうめき声が数分間聞こえた後、静かになった

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ビルケナウの収容棟内。一棟で平均400人が収容されたという

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ビルケナウの門。引き込み線を入ると、終着点でナチ将校が待っていた。そこでは、生と死を分ける最初の選別が行われた

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