旅におぼれて~現代史の現場を歩く①~アウシュビッツ㊤ [旅におぼれて]
旅におぼれて~現代史の現場を歩く①~アウシュビッツ㊤
厳寒のアウシュビッツを訪れた。正確に言えば「ポーランド国立オシフィエンチム博物館(アウシュビッツ・ビルケナウ国立博物館)」。ポーランド南部の古都クラクフ(映画監督A・ワイダの出生地、日本の京都のような旧市街と学問の街。ポーランドでは珍しく戦禍で街が破壊されなかった)に宿をとり、バスで約60㌔を移動、3㌔の距離を置く二つの収容所を訪れた。
欧州全体で600万人から450万人といわれるユダヤ人大量殺戮は、人類史上最悪の犯罪である。その犯罪性は、単に被害者の多さだけではない。アウシュビッツ強制収容所の所長だったルドルフ・ヘスは教養人だったと言われ、収容所送りの指揮を執ったアドルフ・アイヒマンは「凡庸な小役人だった」と、ハンナ・アーレントも明らかにしている。平凡な小市民であった彼らが、整然かつ平然とこのような人類史に残る悪を日常の倫理観の枠の外で行ってしまう―それこそが、我々を慄然とさせるのである。
それゆえに、立ち並ぶ収容所の各棟は極めて整然としている。収容された人たちによって組まれたという煉瓦の壁は、見事な幾何学文様をあたりの風景の中に刻み込んでいるのである。
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かの地ははもともとポーランド語で「オシフィエンチム」と呼ばれた。霧に包まれた湿地帯で、悪臭を放ついくつもの池が取り巻く20㌶の地は、周辺に民家がなかった。このことが、ナチに史上最悪の絶滅収容所を建設させる動機となった(V.Eフランクル「夜と霧」などから)。アウシュビッツはドイツが勝手につけた地名である。
アウシュビッツ収容所の門。頭上のゲートにはドイツ語で「ARBEIT MACHT FREI」(労働は自由をもたらす)とある。この門をくぐると、労働不適格者とみなされた者はそのままガス室に送られた。それ以外の者は、せいぜい2、3カ月の苦役の末に死んでいったという |
ビルケナウ収容所内で、ガス室で殺された後、野積みで焼かれるユダヤ人の遺体。「夜と霧」によると、死体焼却場ができる前の光景らしい。収容者によってひそかに撮影され、外部に持ち出された。撮影者は未だに不明という |
ガス殺に用いられたチクロンBの大量の空き缶。屋根からガス室にこの缶を投げ込んだのは収容者だった(「夜と霧」)とされるが、それはもちろん、過酷な生存競争の果ての行為であり、問われるべき罪の根源が彼らにあるわけではない |
あまりにも整然とした収容棟。煉瓦の塀は収容者自身が積み上げた。アウシュビッツとビルケナウの計191㌶にある150棟の建物と監視塔、10数㌔の有刺鉄線、鉄道の引き込み線などが博物館の管理下にある |
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