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凡庸と読むか深いと読むか~映画「もう一人の息子」 [映画時評]

凡庸と読むか深いと読むか~映画「もう一人の息子」


 病院内でわが子を取り違えられ、理不尽な運命に悲嘆しつつも精神的な成長を遂げる「そして父になる」(是枝裕和監督、2013年)は、そのテーマ設定ゆえに関係者の微妙な心的変化を追う私小説的なアプローチが不可避であったが、「もう一人の息子」(フランス、2012年、ロレーヌ・レヴィ監督)も、病院内での乳児取り違えを扱いながら、印象は全く違っている。

 それも当然で、「そして父に…」では、関係する二つの家庭のあいだに横たわるのは、せいぜい家庭環境の差異と若干の貧富の格差で、描かれたのはそれぞれの幸福観であったが「もう一人の…」では、二つの家庭のあいだには占領と被占領という、市民レベルでは乗り越えられない関係性が横たわっており、民族間の対立と憎悪にさらされた二つの家族のありようが大テーマになっている。

 イスラエルで暮らすフランス系ユダヤ人家族の一人息子ヨセフ(ジュール・シュトリク)は、兵役に就くため健康診断を受ける。血液検査の結果、母(エマニュエル・ドゥヴォス)は、ヨセフが実の息子でないことを知る。ヨセフは兵役に就くことを拒否され、ユダヤ人としてのアイデンティティへの確信が揺らぐ。調査の結果、湾岸戦争最中の1991123日、多国籍軍のスカッドミサイルが病院に命中したための混乱で隣接する保育器の乳児と取り違えられたことが判明する。取り違えられた相手はパレスチナ人家族の息子ヤシン(メディ・デビ)だった―。

 二つの家族は対面し、交流を始める。しかし、ときに民族間の憎悪がむき出しになる。二人の息子を「元のさや」に収めるかどうか、明確には描かれていない。しかし、二人の息子は、戸惑いながらもお互いの「家族」のあいだで生きようと決意する。

 中東問題という重いテーマの割に、作風はさらりとしている。同じく中東を舞台にした「灼熱の魂」(カナダ、2010年)ほど、彫りの深さもない。鉄条網がめぐらされた高い壁によって「こちら側」と「向こう側」に分断された家族のせつなさも、ほどほどに描かれている。なにより、この映画の結末を「凡庸」と読むか「深い」と読むか。

ギリシア悲劇「オイディプス」を彷彿とさせた「灼熱の魂」とは両極にあるこの映画の作風を、私自身は好感をもって受け止めたのであるが…。

 もう一人の息子.jpg

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