儚い歌詞にひそむ物語~濫読日記 [濫読日記]
儚い歌詞にひそむ物語~濫読日記
「北のはやり歌」赤坂憲雄
「北のはやり歌」は筑摩選書。1500円(税別)。初版第1刷は2013年10月15日。赤坂憲雄は1953年生まれ、学習院大教授。福島県立博物館館長。99年「東北学」を創刊。「3.11から考える『この国のかたち』」(新潮選書)など著書多数。 |
著者の赤坂は、はやり歌はつくるものではなく、つくられるものだという。その通りだろう。歌は、その背後に横たわる物語を大衆が抱きしめることによって、つまり感情をそこに通わせることによって「はやり歌」になる。
そして思う。はやり歌の世界には、なんと「北へ帰る」物語の多いことか。挫折し、傷ついた人々の魂は、北の安住の地へ向けて旅立つのである。なぜだろう。
この書は、こうした大衆の魂のさすらいゆくさまを、いやさすらう大衆の魂が抱きしめたはやり歌の世界を読み解いていく。
「北帰行」はまぎれもなく、北をめざす歌である。しかし、そこにはなぜか、根なし草(デラシネ)の匂いがほのかにする。歌ったのが小林旭であったせいか。それだけではないような気がする。ここで赤坂は一つの指摘をする。歌詞には「さらば祖国 愛しき人よ」とある。その前段にある「都すでに遠のく」と「さらば祖国」はどのようにして等価であり得るのか。そこで赤坂は、この歌の原曲が、戦前の旅順高の第2寮歌であった事実をあぶりだす。「北帰行」とは、はるか中国大陸をめざす歌なのである。
五木ひろしが歌った「浜昼顔」は虚をつく一文だった。たしかに、寺山修司作の歌詞には「ここはさい涯(は)て北の町」とある。しかし、私たちの脳裏には「たとえば瀬戸の赤とんぼ」が強烈に焼き付いていて「北」のイメージとはかけ離れている。ここで著者は「瀬戸」は「背戸」であり「狭いところ」もしくは「住居の裏の空間」だという。たしかにその方が、イメージがしっくりくる。そのうえで、歌詞をじっくり眺めてみると想像力の奔放さ、自由さが湧き上がってくる。これはたしかに寺山の詩だ。「時には母のない子のように」から5年、寺山は「家のない子のする恋は」とうたい、浜昼顔をかばんに詰めて旅立つのである。
「津軽海峡・冬景色」も、もちろんいい。阿久悠による昭和歌謡の傑作と言っていいだろう。「上野発の夜行列車…」という歌いだしから、濃密な物語が立ちあがる。だが、赤坂の批評の切れ味を知りたいなら「俺ら東京さ行ぐだ」を取り上げた「たとえば、ポストモダンの落とし児として」だろう。「こんな村いやだ」という若者が東京へ出て「銭コア貯めて」、東京で牛(ベコ)飼うだ、と歌う。しかし、1980年代に「電気もねえ」村が日本列島にあったのか。そのことと、東京でカネをためて「東京で牛を飼う」という物語が結びついた時、ここには戦後の高度経済成長そのものをフィクションにしてしまいかねない、危うい毒が潜んでいるのである。こうした時代の裂け目を見事にとらえた赤坂の眼力に敬服する。そして彼はこの章をこう結ぶ。
「時代に添い寝することを拒んだはやり歌だったのかもしれない」
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