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アンチ・モラルな女性像~映画「夏の終わり」 [映画時評]

アンチ・モラルな女性像~映画「夏の終り」


 二人の男のあいだで揺れる女性を描いた瀬戸内寂聴(晴美)の「夏の終り」を「海炭市叙景」の熊切和嘉監督が映像にした。原作は1960年代に発表された数編で、瀬戸内自身の体験に基づくとされている。

 二人の男とは、かつて愛した木下涼太(綾野剛)と、不遇の作家小杉慎吾(小林薫)。涼太は知子(満島ひかり)がかつて結婚していた男の教え子で、そのときの夫と子供をおいて出奔した過去を持つ。この設定も、瀬戸内の実体験に基づく。小杉慎吾は小説家・小田仁二郎をモデルとしている。小田は芥川賞、直木賞候補に幾度かなったが、いずれも作品の難解さのゆえに落選した。瀬戸内の「夏の終り」が発表される少し前、小田はある同人誌を主宰しており、瀬戸内もその同人の一人だった。

 小杉は知子より年上で、精神的な愛で優しく知子を包み込む。規則的に妻のもとと知子の家を往復する。涼太は、小杉に比べ愛のかたちがとがっている。ある日、知子は偶然、小杉への妻からの手紙を見てしまう。他愛もない内容だが、そこに知子は二人の生々しい関係を直感する。そして、知子は鎌倉の小杉の自宅を訪れる。

 原作となった数編のうち、表題でもある「夏の終り」のこの部分は、小説としても秀逸である。映画でもこのシーンが大きな意味を持っている。

 この映画を、いわゆる「不倫」がテーマ、と読むとほとんど理解できないだろう。この小説・映画に登場する知子は、日陰でしおらしくじっと耐えて暮らす女性ではない。社会倫理からは自立しており、その思想を経済的な自立(小説・映画では染色家となっている)が支えている。彼女は「愛される」ことを待っている女性ではなく、対等に愛することを求める女性である。「モラル」という言葉を極めて狭い意味に限定すれば、ここに出てくる女性は「アンチ・モラル」な女性である、といえる。

 こうしたテーマ設定からくる必然として、いわゆる愛慾に流れるシーンはない。そうしたシーンを多用すれば、モラル=道徳=不倫へと陰影が深まることを周到に避けた、熊切監督の計算があったように見受けられる。

 満島が「難役」と格闘している姿はよく分かる。この役が似合う女優はそんなにはいないだろう。

 夏の終わり.jpg


夏の終り (新潮文庫)

夏の終り (新潮文庫)

  • 作者: 瀬戸内 寂聴
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1966/11/14
  • メディア: 文庫





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