庶民の「戦争」を淡々と~映画「少年H」 [映画時評]
庶民の「戦争」を淡々と~映画「少年H」
今夏「戦争」にまつわる何本かの映画を見た。率直に言えば、最大の収穫はこの「少年H」ではなかろうか。ことさらに「反戦」を掲げるわけでもなく、歴史に対して大上段に切り込むわけでもなく、それでいて庶民の視線で「戦争」がなんであったか、よくとらえている。水谷豊も伊藤蘭も、なにより「少年H」こと肇役の吉岡竜輝が好演である。ベテラン降旗康男の演出も安定感があり、野球で言えば肩に余計な力が入っていないからこそ、手元で球が伸びてくる感じだ。成功の一番の理由が妹尾河童の原作にあることはいうまでもない。
肇は、神戸市内(鷹取)で洋品店を営む夫婦の長男である。妹がいる。夫婦はクリスチャンで、リベラルな考え方を持つ。肇も正義感が強く、思ったことはずけずけと言う。そんな家族に暗雲が漂う。日本はついに真珠湾を攻撃、太平洋戦争が始まるのである。肇が通う学校や一家が住む町内の隣組でも、軍国主義が声高に押し付けられてくる。
クリスチャンの夫婦と、まっすぐな子どもの視線という設定が絶妙である。戦争へと傾く世の中に対して、同心円ではなくそれより少しずれた位置にある家族の中心点。だからこそ、見えてくるものがある。日本の動きに対して、ひそかにではあるが、投げかけられる疑問。これに、召集令状が来て自殺する若者や、特高に追われる若者が絡む。身の回りのことに終始しながら「戦争」の愚かさや非合理性が伝わる。「踏み絵を踏まされるのなら、踏めばいい」という肇の父盛夫(水谷豊)の言葉が重い。ここには戦時中、獄中非転向を貫いた共産党員とは真反対の「生き方」がある。庶民は生きてこそ庶民なのである。
軍国主義の「錦の御旗」を背に、鉄拳制裁をした中学の教官が、戦後の焼け跡で会った肇に対して敬語を使うところなど、「軍国も所詮は遊泳術」と看破する子どもの視線が痛い。等身大の「戦争」を考えてみるのもいいのではないか。原作本とともに、薦めたい。
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