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「『戦後』と角栄」を鮮やかに語る [濫読日記]

「『戦後』と角栄」を鮮やかに語る


「田中角栄 戦後日本の悲しき自画像」(早野透著)

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「田中角栄 戦後日本の悲しき自画像」は中公新書。940円(税別)。初版第1刷は20121025日。早野透氏は1945年生まれ。68年、朝日新聞社入社。74年東京本社政治部。8081年に新潟支局。編集委員、コラムニスト。「田中角栄と『戦後』の精神」「日本政治の決算」など著書多数。





 









  ◎時代と角栄

 大正7年に生まれ平成5年に亡くなった田中角栄は、ほぼ昭和とともに生涯をすごした人間だと言える。そうした視点で「角栄とその時代」を描きだしたのが保阪正康の「田中角栄の昭和」(朝日選書、2010年)だった。保阪はこの中で「兵士・田中角栄」を埋もれた歴史の中からあぶりだし、あまたある角栄論の中で異彩を放った。

 政治家田中角栄のスタートは1947年の総選挙当選だろう。あるいは前年の総選挙での落選経験を入れてもいい。没したのは、西暦でいえば1993年。宮沢喜一内閣が下野し、55年体制が終わった年である。その2年前にソ連が崩壊したことを付け加えれば政治家・田中角栄の軌跡は、日本の戦後政治とぴたり符合する。朝日新聞の「田中番」記者だった早野透がこの書を出した動機の多くは、このあたりに由来するだろう。だから、「角栄とその時代」を共通テーマとし、内容的に似てはいても、保阪と早野は明らかなスタンスの違いがある。


 ◎角栄との距離感

 何にもまして、数多くある「角栄もの」(保坂によれば106冊あるという)と早野のそれが違っているのは、早野が政治記者として角栄の肉声を身近に聴いていることである。これは、早野には武器であると同時に弱点でもある。なぜか。角栄との距離を保ち難いからである。まして相手が大衆から圧倒的人気を得た稀代の政治家であれば、なおさらだ。角栄のオーラにからめ捕られかねない危うさがあるからである。そして実際に、そうした懸念が頭をもたげる個所がないわけではない。例えば立花隆の「田中角栄研究」が出た直後、外国特派員協会で会見する角栄の言葉をメモしながら「わたしはメモをとりながら、少し角栄を哀れに思った」と書く心情をどう見るか。このとき早野は番記者として、金脈報道の一端を担う立場にあった。

 おそらく、早野としては、そうした危険(「所詮は政治部記者が書いた角栄論」と受け止められてしまう危険性)を感じながらもこの書を書く意味があると踏んだ結果のことであるに違いない。そうした著者の思いは、「あとがき」の後半の部分にのぞいている。

 ――「歴史の狡知」としての田中角栄を通して、日本政治の苦悶の過程を見てもらい、これからの日本に、人々がいたわりあえる、真の民主主義を実らせていくことができればと願っている。

 「歴史の狡知」「日本政治の苦悶の過程」という言葉には、角栄との距離感をとることの困難さが見て取れる。


 ◎「戦後」を総括すべき時

 福島第1原発事故から約1カ月半後の4月28日付朝日新聞に社会学者の小熊英二が「東北と東京の分断くっきり」という文章を書いた。そこで彼は、戦後の東北は首都圏への食糧供給地帯であり、安価な労働力供給地帯であり、エネルギー供給地帯であったとした。

 田中角栄にとって「新潟」とは、首都圏にとってなんであったか。小熊のいう「東北と東京」の関係ほど単純ではなさそうだ。なぜか。どこが違うか。

 「角栄」という政治家を通して、民衆の熱情が「東京と新潟」の関係の中にこもるからであろう。1983年の総選挙。ロッキード事件で有罪判決を受けながら22万票という驚異的な支持を受ける。角栄はこれを「百姓一揆」と語る。それに続けて早野はこう書く。

 ――角栄にとって東京は憧れであり、しかし、なにがしか憎悪の対象だった。

 こうした結果を生んだ新潟3区とは何かを知るため、著者は実際に新潟支局に赴任する。そこで「汲めどもつきぬ『角栄と民衆』の物語」に出会う。橋を架け、トンネルを掘り、道を通す物語である。これは「新潟の東京化」なのか。それとも「新潟と東京の構造化」なのか。そのどちらでもないのか。

 著者は一つのヒントを提示している。越山会は、田中角栄の後援会ではなく、角栄を盟主とする「草のとりで」=民衆同盟であったというのだ。もしかすると角栄が目指したものは「東京に匹敵する新潟」であったのか。

 早野の巧みな角栄論の中で、特に秀抜なのは次のくだりである。

 ――さらにいえば、「角栄の人生」そのものが『歴史の狡知』だったのかもしれない。新潟の寒村に生まれ、時代を生きる巨大なエネルギーを持つひとりの男を思うままに生きさせて、その敗残の中から日本は次の時代をつくった。

 角栄とその時代を、これほど見事に語った文章を他に知らない。角栄は1989年、政界を引退する。その年、ベルリンの壁が崩され、東西冷戦が終わる。自民党のレーゾンデートルもまた、崩壊する。

田中角栄 - 戦後日本の悲しき自画像 (中公新書)

田中角栄 - 戦後日本の悲しき自画像 (中公新書)

  • 作者: 早野 透
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2012/10/24
  • メディア: 新書

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