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観客つかむ職人芸の裏側~映画「ヒッチコック」 [映画時評]

観客つかむ職人芸の裏側~映画「ヒッチコック」


 ――視線は、そもそも、アイデンティティや罪の意識の基盤である。

(「ヒッチコック 映画と生涯」ドナルド・スポトー著、1983年)


 映画では、ヒッチコックの「のぞき見趣味」が頻繁に登場する。通りを歩く女性をのぞき見する。隣室の会話をのぞき見る。普通の人間なら、とんでもない悪癖で片づけられるだろうが、なにせヒッチコックは「観客の視線」を熟練したオーケストラのように束ねる職人的指揮者である。これにブロンド女性への偏愛、死体愛好癖が加わる。


 ――しかし、ヒッチコックの入念な映像は分裂した人格を象徴するだけではない。観客が登場人物と自分を同一視するよう執拗に操作することによって、観客の欲望の裂け目をあらわにするという道徳的機能をもった。裂け目とは、むかつくような反感と好奇心がぶつかりあって見えてくるものであり、それはこの映画の本質的な要素である。(前掲書)


 

 殺人者の心理をミステリーに仕立てた映画「サイコ」が、どのような過程を経て世に出たかを描いたのが、映画「ヒッチコック」である。「サイコ」は今でもミステリー映画の金字塔であるが、その魅力を問えば、殺人事件の恐怖を「見る」ことで共有したいと思う(あるいは願う)観客の心理を巧みにつかんだ映像の職人芸にあると言っていい。だからこの作品は、平板な成功物語ではなく、ヒッチコックの精神の暗部に光を当てることでこそ成り立つ―という宿命を帯びる。映画の中でヒッチコック自身が言っている。

 「人を引き付ける、吐きそうな話がいい」―。

 ヒッチコックは、ある大量殺人事件にヒントを得て、これまでにない斬新なミステリーの製作をもくろむ。しかし、映画配給会社は、その残忍さのゆえに資金提供を拒む。ヒッチコックはやむなく自己資金による映画製作に乗り出す。低予算の早撮りは得意とするところだが…。そして出来上がった映画が封切られ、観客の反応は…。

 ヒッチコックにアンソニー・ホプキンス。映画の性格上、さりげない演技力が必要でその点は優にクリアされているが、どう見てもヒッチコックに見えない点がイライラする。マーガレット・サッチャーをやったメリル・ストリープは似てたけどな。妻で脚本家のアルマ・デビルにヘレン・ミレン。伝説のシャワーシーンを演じたスカーレット・ヨハンソンがとても美しい(ヒッチコックの趣味通り「ブロンド」である)。「風と共に去りぬ」の主人公が名前の由来らしい。

「ヒッチコック」.jpg 

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