人生に折り合いはつくか~映画「ふがいない僕は空を見た」 [映画時評]
人生に折り合いはつくか~映画「ふがいない僕は空を見た」
タイトルに「ふがいない僕は…」とあるが、とにかく、出てくる人間がすべてダメ人間。「ふがいない」のは「僕」だけではないのだ。それでいて、救いようのないドラマかといえば、それも違う。ちゃんとみんな生きているのだ。「僕」も「あいつの人生終わった」などとクラスメートに言われながら、しっかり生きていくのだ。マイナスにマイナスをかけてプラスになる。折り合いのつかない人生なんてない。そんな結末の映画だ。
ストーリーの両極をなすのはコスプレと助産師。一方は現実に目をそむけて一瞬の快楽を見いだす。一方は命が生まれる瞬間を助ける仕事をしている。高校生と主婦の情事という筋立ての奥には、実は骨太のテーマがひそんでいる。
あるイベントで出会った卓巳(永山絢斗)と主婦里美(田畑智子)は、コスプレの中での情事にのめりこむ。里美は不妊症治療を受けながら姑から責められている。夫はといえば、これがひどいマザコン。そんな中で「現実を見ないですむから」と、卓巳にヒーローの衣装を着せて快楽にふける。
ところがこの情事、夫に盗撮され、ネットでばらまかれてしまう。そのプリントが級友の間で広まり、卓巳は窮地に立つ―。しかし、並みのストーリーと違うのは、プリントをまく親友たちの表情だ。冗談めいた「ちょっとした悪意」が、行動の裏にひそんでいる。卓巳に告白した松永(田中美晴)でさえ、ネットを見て「くすっ」と笑ってしまうのだ。
卓巳の親友福田(窪田正孝)は痴呆の祖母とともに暮らし、コンビニでアルバイトをしているが、もやもやとした閉塞感の中で暮らしている。そんな彼に「団地を出るためのツールとして学歴を身につけたら」とさとす先輩店員田岡(三浦貴広)はホモ志向で、男児にわいせつ行為をしてつかまってしまう。とにかくダメ人間のオンパレードだ。
しかし、こうした中で卓巳の母(原田美枝子)は助産師で生計を立てている。命を産みだす行為の苦しさも尊さも、よく知っている。だから、落ち込む卓巳に「死なないでよ。とにかくそこにいてよ」という言葉がずしりとくる。
始まりはコスプレだが、居場所のない家庭で仮面をかぶる里美にとって、実は実生活こそ「コスプレ」ではなかったか。閉塞感漂う日常を生きる卓巳にとっても、実生活こそコスプレではないか、と思えてくるから不思議だ。そんな中で、いったんは別れた卓巳と里美が、コスプレではなく裸で抱き合うシーンはとても意味が深い。だけどやっぱり、コスプレ的日常に戻っていくのである。
田畑智子は快演。今年の日本映画のベストワンかもしれない。それにしても、この作品のタナダユキとか、「夢売るふたり」の西川美和とか、女性監督が最近いい仕事をしている。窪美澄の原作は2011年山本周五郎賞。
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