ナンバー2を目指した男~濫読日記 [濫読日記]
ナンバー2を目指した男~濫読日記
「聞き書『野中広務回顧録』」(御厨貴 牧原出編)
日本社会のリーダー像の現状について、辛淑玉が的確な論評をしている。少し長いが、引用する。
――一般に、日本の社会は、そのリーダーに政治的な思想性や時代に対する先見性を求めない。求められるのは、ムラの利益のために、けっして「恥を外にさらす」ことなく、かいがいしく人々の「世話」をしてまわることだ。そして、原理原則や公平さなどとは無関係に、とにかく「もめごとを処理する」こと。この延長線上に日本の政治がある。
だから、その意味では、日本を実質的に支配しているトップは、実は天皇でも首相でもなく「世話役=幹事長」なのだろう。野中氏は、町議会議員から一貫して「もめごとの処理」で身体を張り続け、「世話役」としてその存在感を示し、政権党である自民党の幹事長まで上り詰めた。(野中広務との対談「差別と日本人」から)
辛は、対談の相手である野中の立ち位置を、日本社会の分析の中で明らかにしている。こうした立ち位置を持つもう一人の政治家が、私の頭の中にいる。幹事長にはならなかったが、官邸ナンバー2である官房長官を務めた後藤田正晴である。この後藤田のオーラルヒストリーをまとめたのは御厨貴であった。その書のタイトルは「情と理」と名付けられた。「カミソリ」と称された後藤田のことであるから、「理」と「情」を対置させたタイトルは極めて妙味があった。
同じ御厨が編者の1人となったのが、この「野中広務回顧録」である。あらためて野中の歩んだ道を振り返ってみると、まさしく辛の言う「もめごとの処理に身体を張り続けた世話役」であった。野中のこうした側面を極めて鮮明に表している、一つの語り口を紹介しよう。リクルートで倒れた竹下内閣を宇野内閣が引き継いだが、宇野はスキャンダルにまみれて2カ月余りで政権を去った。このときの政局を見る野中の視線。
――自分は宇野内閣の大失敗は当時聞いたところによると、宇野さんの事務所の運転手を総理秘書官にしたことだと思っているんだ。
このことで、「総理秘書官はオレだ」と順番待ちをしていた古株の秘書を怒らせたことが、宇野スキャンダルの流出につながったというのである。もめごと処理係の面目躍如である。しかし、野中の言動には後藤田のような「理」はあまり見当たらず、「情」の政治家の側面が強い。政治改革で小選挙区に反対した理由を、野中はこう述べている。
――小選挙区になれば(略)五一%は反映されても、四九%は封殺されてしまう。(略)そんな制度で民意が封殺されるのはよくない。
ここにあるのは、理ではなく情である。政権交代可能な選挙制度として小選挙区を追求した小沢一郎とは、明らかに違う。「情と理」では小沢とは明らかに違っているが、冒頭に述べたリーダー像としては、小沢と重なる部分もある。ナンバー2を目指した政治家という部分である。自自公連立の一角を担った小沢の胸の内を、野中はこう語る。
――これは、僕の推測だけれど、小沢さんは自分の副総理を狙ったんじゃないか。(略)僕は、彼が総理になるという意思は全くなかったと思う。(略)それでフィクサーとなって、好きなように動かしたい。国会なんかでは答弁しなくてもいい、そういうポストですね。
二人の重なる部分と重ならない部分とがあいまって、野中は小沢との確執を深めていったのではないか。同じ立ち位置にいるだけに、小沢の負の部分も、正の部分も見えていたのではないか。自自公連立のさい、野中は「悪魔にひれ伏してでも」と言っている。悪魔とは、小沢のことである。第1次小渕内閣で官房長官だった野中は、自自公連立の第2次小渕内閣で幹事長代理になる。野中は別の個所でこんなエピソードも明かしている。
――(小沢が)金丸さんの家に来ては、「おやじ、私は命をかけておやじを守りますから(略)」と言ってハラハラと泣くんだ。(略)金丸さんの孫がおって、そのあと、「うちにはたくさんの政治家が来るけれど、おじいちゃんの前で声を出してワンワン泣きながら、スーッと横目で僕ら子供の顔を眺める、怖い政治家がおる」と言ったんだから。
小沢の、情より理の素顔がのぞく。ただ、野中の小沢観は一筋縄ではなく、もっと屈折している。たとえば、
――小沢さんを追いこんだんだな。僕が最初の追い込み屋でしょう。ある意味において、小沢さんに対する敗北感、彼が向こうに行って勝った、という敗北感が私にはありましたからね。
55年体制の崩壊過程を縦糸に、ナンバー2を目指した政治家の野心を横糸にして、情と理が複雑に絡み合う。
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