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「戦争」という日常~濫読日記 [濫読日記]

「戦争」という日常~濫読日記


「その日東京駅五時二十五分発」(西川美和著)

 

その日東京駅_001.JPG  その日東京駅五時二十五分発」は新潮社刊。1200円(税別)。初版第1刷は2012730日。著者の西川美和は1974年広島県生まれ。映画監督、作家。2002年「蛇イチゴで脚本、監督デビュー。06年に「ゆれる」で脚光を浴びる。09年「ディア・ドクター」はキネ旬日本映画1位。小説では三島由紀夫賞、直木賞のそれぞれ候補。















 戦争は戦場だけで繰り広げられるものではない。毎日の生活の中に、戦争はあった。そのことにこだわった中編小説である。

 「ぼく」は祖父の言動に「されこうべ」を見る。その感覚は、ある日突然に訪れ、そう見えてしまうと、それはごく当たり前の感覚になってしまう。いったん「されこうべ」に見えてしまうと、どんな人間も大差がなくなる。「兵隊」も「軍国」も「家父長制」もすべて取り払われてしまう。著者が描こうとしたものは、そんなところにあるのではないか。印象的な導入部である。

 陸軍通信所に所属する「ぼく」はその日、長い旅に出る。列車は午前5時25分発。混乱の中で、切符など買わずに乗り込んでしまう。向かうのは故郷の広島。

 「戦争」はじっとりとした夏の空気のように「ぼく」にまとわりついている。だが、これが戦争なのだというたしかな実感はない。

 本土決戦。そんなことがぼくにできるのか―。

 東京駅を出発してほぼ24時間後に見た故郷の姿。しかし「巨大な槌で地面に叩きつぶされたようになった風景」は、ぼくを拒絶する。「おそろしい光」も「人々の叫び声」も知らないぼくは「街から完全に背を向けられているような気」がして、「門外漢」としてたたずむ。

 おそらく、この情景の中に著者がこの小説を書こうとした「動機」が埋め込まれている。原爆で焼かれた人や戦場で銃弾を浴びて死んでいった人たちがいる、しかし、そうでない戦争体験もある。このことを著者は「『全てに乗りそびれてしまった少年』の空疎な戦争体験」への共感―と、あとがきで記している。

 銃弾も爆弾も、死もない世界だが、まぎれもなく「戦争」がそこにある。そんな迫真性を持つ小説である。
 

その日東京駅五時二十五分発

その日東京駅五時二十五分発

  • 作者: 西川 美和
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/07/31
  • メディア: 単行本



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