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「国策民営」という欺瞞 [社会時評]

「国策民営」という欺瞞

 福島第一原発事故に対する補償の枠組みが決まりつつある。政府試算では4兆円ともいわれる資金を東電が2兆円、他の電力8社が2兆円負担し、約10年かけて返済する。賠償支援のための機構を新設し、これを政府が資金的に支援するため、東電への直接的な公金投入はない。この、いかにも役人が考え出したらしい枠組み、しかしなにか腑に落ちない。そもそも議論されるべき「原発を国策民営で推進する」ということについての哲学がないからだ。

 賠償金の財源はどこに求めるか。まずは東電のリストラ、経営の合理化であろう。しかしそれで賄えない場合は、利用者の料金に上乗せされる。結局は国民の負担になる。「腑に落ちない」最大の根拠はここにある。

 今回の福島第一原発事故でまぎれもなく明らかになったこと、それは一度原発事故が起きれば、東電といえども1社では負いきれない負担が生じるということである。それなら本来原発は、電力会社でなく国家が運営すべきなのだ。しかし現実には「国策」として原発推進を国民に押し付けておきながら、運用は民間会社で行ってきた。ここで、企業がとても賄えないからと言って国民に補償のしりぬぐいをさせるとしたら、やはりそれはおかしくはないか。

 ましてや、東電幹部は報酬の50%カットと言いながらなお3600万円の収入を得、退職者への企業年金は全額支払うという。これでは生活基盤を根こそぎ奪われた福島県民の怒りは収まるまい。一方で融資した銀行に政府が「棒引き」を求めたところ、金融界からは一斉に反発が起きたという。電力料金値上げで集めたカネを、融資の回収金に回せと言うのか。こうした金融界の反応=無責任体質にもあきれるばかりだ。

 まずは、原発は「民営」なのか「国策」なのかはっきりしてもらいたい。「民営」なら純粋なコスト計算とリスク計算で判断すべきなのだ。しかしそれをやれば、原発に手を出す企業などないだろう【注①】。それならそれでいいではないか。一方で、あくまで「国策」として推進する考え方もあるだろう。それなら、原発運営は完全に国家が担うべきだし、事故が起きれば公金で賄うことになる。それはそれで、国民の合意が得られるのなら文句のつけようがない。

 都合のいいところは「民営」に任せ、別のところでは「国策」を振りかざす。こうしたやり方のツケがいま回ってきたのではないか。

 常識的に考えて、これほどの事故があってなお原発の新設が国民に理解されるとは思えない。世論調査では「現状維持」が半数近くあるが【注②】、これは放射能被害の深刻さが国民に周知されていないためとしか思えない。原発全基の安全点検と新設計画の中断、さらに再生可能エネルギーの開発促進を掲げ、3050年計画で原発依存の脱却を進める―。こうした「フクシマを2度と起こさない」枠組みを作ることと補償の枠組み作りは同時並行であるべきではないのか。


 【注①】4月24日付毎日によると、現在米国31州に104基の原発があり、スリーマイル島事故以来建設計画は30年間凍結、オバマ大統領の号令で24基の計画が進んでいたがほぼ全面的に止まっている。リスクとコストへの懸念からである。

 【注②】4月18日付朝日によると、原発は「現状維持」が51%、「減らす」21%、「やめる」11%、「増やす」5%。「現状維持」がこれだけ高いのは意外である。放射能被害の深刻さが伝わっていないとしか思えない。また4月21日付朝日にはWIN―ギャラップ・インターナショナルによる国際的な世論調査結果が掲載され、日本では「反対」47%、「賛成」39%だった。結果の違いは設問にもよると思われる。マスコミ全般でいえば、菅政権の手法に対する世論調査は多いが、原発政策に対するそれは驚くほど少なく、目に留まったのはこの朝日の記事ぐらいだった。なぜ各紙はこのテーマで世論調査をしないのだろうか。




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