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ニッポンの「分断」をみる~濫読日記 [濫読日記]

ニッポンの「分断」をみる~濫読日記

「日本を滅ぼす原発大災害」(坂昇二・前田栄作著、小出裕章監修)

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 「日本を滅ぼす原発大災害」は風媒社刊。1400円(税別)。初版第1刷は2007年9月15日。著者の坂昇二は1963年生まれ。企業調査会社調査員を経て編集者。前田栄作は1950年生まれ。フリーライター。著書に「虚構の愛知万博」など。監修者の小出裕章は1949年生まれ。東北大工学部卒。1974年に京都大原子炉実験所助手。呼称変更で現在は助教。専門は放射線計測、原子力安全。


 











 朝日新聞4月28日付に載った小熊英二の「東北と東京の分断くっきり」は出色だった。おぼろげながら感じていたことを、それこそくっきりと浮き彫りにした。その文章はこのように始まっている。



 ――東北が「米どころ」の地位を確立したのは戦後だという歴史は、意外と知られていない。

 コメだけではない。戦後の日本は、東京へのあらゆるものの供給源として東北を見てきたのだ。低廉な労働力。安価な土地と豊富な労働力をセットにした工場立地の提供。…そして電力。だから、震災復興のビジョンは阪神大震災や関東大震災とは明らかに違うはずだ、と小熊はいう。その通りだろう。都市ではなく生産地としての東北をどう復興させるか。依然として安価な労働力や工場立地、電源立地として考えるなら、東北は「限界集落」ならぬ「限界ブロック」と化すだろう。そして小熊は、この文章を以下の言葉で締めくくっている。

 ――震災後には「がんばれニッポン」という言葉が躍った。だが震災が浮き彫りにしたのは、「ニッポン」の一語で形容するにはあまりに分断されている、近代日本の姿である。



 政府を始め、東北の復興を甘く見すぎているような気がする。ことは「近代日本」への挑戦に関わることなのだと思う。

 そうした「構造」を持ちながら福島に原発が作られていった。そして、列島のさまざまな地域にフクシマがつくられていった。福井、新潟、島根、そして六ヶ所村。島根原発は松江市と10㌔しか離れていない。しかし、島根原発の供給地は松江ではない。広島であり岡山である。

 本州の北端、下北半島にある青森・六カ所村は年間3000㌧の核燃料廃棄物をプールに貯蔵し800㌧を再処理する能力があるという。しかし高速増殖炉「もんじゅ」はナトリウム事故の後もトラブル続きで稼働せず、構想は端緒で躓いてしまっている。核燃料廃棄物をこのまま列島にためておくか、それとも再処理をして「猛毒」プルトニウムをためておくか。いずれにしても賢明な選択とは思えない。

 「断層隠し」「断層殺し」「断層刻み」という言葉があるらしい。「隠し」とは、疑わしい断層を評価しないこと。「殺し」とは「活断層ではない」としてしまうこと。「刻み」とは断層を二つ以上に分断し過小評価すること。いずれも地震の被害想定を引き下げるために用いられるテクニックだ。要するに、都合の悪いものは見なかったことにしよう、ということだ。この書では、京都大原子炉研究所の故瀬尾健さんが、米原子力規制委員会の災害評価手法を日本の原発に適応したプログラムに従って、原発事故がまき散らす放射能被害の詳細なシミュレーションを展開している。防災の甘さと放射能の怖さ。この二つがあいまって、列島のあやうさが明らかになる。


 列島は二分化されているのである。しかし、都市が一方的にリスクを押しつけた「僻地」の報復が、原発事故による放射能被害の拡大という形であり得るということを、この書は1重大な警告として発している。

 最後に、1954年に衆議院議員中曽根康弘と正力松太郎がタッグを組んで出した「原子力開発予算」は2億3500万円だったという。この書では「ウラン235」のごろ合わせだったと紹介している(情報の出所は不明)。悪い冗談と言うほかない。

日本を滅ぼす原発大災害―完全シミュレーション

日本を滅ぼす原発大災害―完全シミュレーション

  • 作者: 坂 昇二
  • 出版社/メーカー: 風媒社
  • 発売日: 2007/09
  • メディア: 単行本

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