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生者と死者の悲劇的な対話 [濫読日記]

生者と死者の悲劇的な対話~濫読日記

「内部被曝の脅威 原爆から劣化ウラン弾まで」肥田舜太郎・鎌仲ひとみ

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「内部被曝の脅威」はちくま新書。720円(税別)。初版第1刷は2005年6月10日。肥田舜太郎は1917年広島生まれ。45年に広島で被爆、救援活動に当たる。全日本民医連理事、日本被団協原爆被害者中央相談所理事長。鎌仲ひとみは早稲田大卒業後、カナダ国立映画製作所。95年から日本を拠点としてドキュメンタリー番組制作。社会派の旗手。映画「ヒバクシャ」など手がける。












 
広島に1発の原爆が落とされ膨大な「死者」と「生者」が生まれた。死者とはもちろん、その時の熱線と放射線に焼かれ貫かれた人たち。人類が体験したことのない苦痛。だからこそ、その苦しみは今なお世界の人々の想像力を超える。生者とはそれらの苦しみを乗り越え生きてきた人たち。しかし、生者たちは生きている肉体の内に「死」を抱えている。緩慢な死を生きる人たち。広島はそうした人たちであふれている。いや、あふれていた。確実に生者は彼岸の彼方へと旅立つ。しかし苦しみは一代で終わらないかもしれない。だから広島はいまなお「生者」と「死者」の対話の場所である。

 原爆の非人道性とは、戦闘員でない人たちに無差別に、かつてない苦しみを与えることである。その暴虐性は二つの境界をいとも簡単に乗り越える。一つは空間。投下時に数十㌔離れていたにもかかわらず、後に入市してヒバクする人たちがいる。もう一つは時間。被爆当時は無傷でも、後に変調に見舞われる人たちがいる。そして後難は次世代へと続く。

 これらは長く原因不明とされた。それゆえに、これはなんらかの「感染」ではないかとのデマも飛んだ。体が重く、だるい。「ぶらぶら病」と呼ばれた。英語では「ブラブラシンドローム」。もちろんこれは病気などではない。体内に蓄積した低レベル放射線が長期にわたって細胞を破壊し肉体を蝕む。このことが分かってきたのは、そんなに古くはない。

 被爆医師・肥田舜太郎は、一発の原爆がもたらした惨禍を目の当たりにした。死んでいく人たちを見ながら、当時の医学で解明できない何かを感じ取っていた。その何かは実は昭和2086日で終わったわけではなかった。米国をはじめ世界で行われた数々の核実験で、風下に暮らす人たちが味わった苦痛。劣化ウラン弾が使われたイラクの戦場で幼い子らを襲った異変。原爆による「被爆」はヒロシマで止まったかに見えるが、核による「ヒバク」はいまも続く。その人たちは緩慢な死へと向かう。著者のひとり鎌仲は、世界でこうした人たちが「1000万人いる」と書く。そして「現代の被ばくは60年前の原爆と直接的に結びついている」という。

 内部被曝。放射性物質が呼吸、飲水、食事によって体内に取り込まれα線、γ線、β線を出し続ける。低線量でも長期間、体内で放射線を出すことにより細胞が傷つく。γ線は透過性が強く外部被曝での被害が大きいことは知られてきた。しかし煙草の煙の20分の1といったサイズの粒子が肺から体内に入り周囲1㌢に放射線を出すβ線がもたらす障害はほとんど知られてこなかったと言える。「放射線量が一定量以下なら安全」というが、これは本当だろうか。体内に蓄積された放射性物質によって、低レベルで長期間照射されることの怖さを知れば「しきい値」など、ほとんど意味をなさないことが分かる。

 「核と人間」をいま「内部被曝」のメカニズムの中でとらえなおす必要がある。そうすれば大江健三郎のこんな言葉がずっと重みを増してくる。

 日本は、広島から核エネルギーの生産性を学ぶ必要はありません。つまり地震や津波と同じ、あるいはそれ以上のカタストロフィーとして、日本人はそれを精神の歴史にきざむことをしなければなりません。広島の後で、同じカタストロフィーを原子力発電所の事故で示すこと、それが広島へのもっともあきらかな裏切りです。(「世界」5月号「私らは犠牲者に見つめられている」)


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