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「東京暮色」は失敗作か~濫読日記 [濫読日記]

「東京暮色」は失敗作か~濫読日記

 「帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史」(與那覇潤著)

帝国の残影_001.JPG 「帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史」はNTT出版。2300円(税別)。初版第1刷は121日。与那覇潤は1979年生まれ。東京大大学院博士課程取得退学。愛知県立大准教授。日本近現代史専攻。フィクションをも素材とする歴史学の新しい語り口を模索する。









 

 小津安二郎監督の映画「東京暮色」を見た。えてして「失敗作」と言われてきた、そうした言説につい踊らされて、今まで見過ごしていた。それを見る気にさせた大きな動機、それはこの「帝国の残影」だった。

 與那覇潤のこの著作は、映画を歴史として見ることで成り立っている。こうした観点からの大きな収穫としてわれわれはジョン・W・ダワーの「昭和」を上げることができる。ダワーはここで日本の戦前、戦中、戦後を一つの「時代」としてとらえることに成功するが、これは映画を取り上げた章でも貫かれている。戦中の日本映画、戦争へのプロパガンダに満ちたいくつかの作品についてダワーはこのように書く。

 ――日本の戦争映画が人々の意識から消えたことは(略)私たちの理解に欠落部分を残した。真珠湾後も、アメリカ人のなかには少数ながらも、これらの日本映画の完成は鋭く、技術も優れていると認める者たちがいた。

 そして、米陸軍のシリーズ映画を撮ったある製作者は言う。

 ――こんな映画にわれわれは勝てない。

 ダワーはまさしく、われわれ日本人自身が埋めることのなかった歴史のギャップを埋めて見せる。そしてこの手法を、小津映画を対象に鮮やかにトレースしたのが與那覇潤ではないか。

 「東京暮色」は、数々の小津の代表作と呼ばれる作品―明るく、モダンで、それでいて虚無をひっそりと隠し持つ、といった作品群からすると異質である。タイトルの通り、夕暮れのシーンが陰鬱な表情を全体に与える。登場人物はなにがしか、心に傷や葛藤を抱えている。

 定年を過ぎて監査役にある周吉(笠智衆)は妻(山田五十鈴)と別れて久しい。離婚の理由は京城支店に赴任していたころの妻の不倫である。周吉には二人の娘がいる。長女の孝子(原節子)は夫とうまくいかず実家に舞い戻っている。明子(有馬稲子)は妊娠するが、恋人は不誠実である。同じころ母親とも偶然出会う。明子は母と恋人と、二重の激しい葛藤の末に事故死する。孝子も、子どもの将来を考え夫のもとに帰る。周吉にはひとり、さびしい生活が待っていた…。人生の「暮色」である。

 作品にはいくつかのキーワードがある。家庭崩壊のきっかけとなった「京城」支店。ここには明らかな戦争の影がある。明子が恋人と言い争うシーンでは沖縄民謡が流れる。製作は1957年。もちろん、沖縄が日本に復帰する以前である。これは何を意味するか。

 與那覇の視線を見てみよう。彼はいったん明治維新の「畸形性」に目を向ける。「明治」を称賛する日本人の「本意ではない背伸び」。日本と中国とヨーロッパをつなぎ合わせた文化の「歪んだ」空間。ここに小津映画の「畸形的なまでに歪んだ(略)厳密に幾何学的な小津作品の画面の構図」の源流を見る。そこから、いわば近代日本が作り上げた帝国の虚構性を暴くため、帝国と家族の矛盾を「東京暮色」で描かざるを得なかった点に、與那覇は小津の「真摯さ」を見ている。「東京暮色」は朝鮮進出から満州引き揚げに至る歴史の中で崩壊する家族の姿を描いた作品であり、だからこそ「京城」は映像に必要な要素だった。そしてまた、明子と恋人の仲が決定的になるシーンでは「安里屋ユンタ」が流れ、戦後日本が引きずる虚構性を暴く視点が提示された、と見ることができる。

 與那覇はこのほかにも、きわめて詳細に小津作品を分析し、映画の裏側に「戦争」の影を見出す。代表作とされる「東京物語」でも、戦争未亡人である紀子の献身的な働きぶりが出てくる。しかし、ここでのメーンテーマは紀子ではなく、実の子どもたちの不実さである。これをそっくり裏返して見せたところで「東京暮色」は成り立っている。

 與那覇は沖縄生まれであり、近代以降の沖縄史を研究してきた。もちろん、彼のこうしたキャリアと視点がこの著作を成立させたことは間違いない。大きな収穫だが、残念ながら文章は晦渋である。


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