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敗者たちの温かさ~映画「海炭市叙景」 [映画時評]

敗者たちの温かさ~映画「海炭市叙景」

 佐藤泰志が書いた連作18編のうち5編を取り上げてオムニバス風に仕上げた。「海炭市」はもちろん架空の地方都市である。だが、ひと目見れば函館がモデルになっていることは分かる。そこで「この映画の舞台は函館だ」と言ってみても始まらない。函館でもあるし、そうでないともいえる。

 不況でドックは閉鎖され、解雇される兄(竹原ピストル)。一緒に登った函館山と思われる場所から帰ってくるのを待つ妹(井川帆波)。都市再開発にあらがい、猫と暮らす老女(中里あき)。兄は帰ってくることはない。いなくなった猫はふらりと帰ってくる。再婚した妻は子どもを虐待する。それを見ながら家業のガス屋の行き詰まりにいらだつ男(加瀬亮)。妻(南果歩)の裏切りに悩むプラネタリウム担当の市職員(小林薫)。深夜に酒場に現れ、女たちにあしらわれる男(原作では漁船員だったが、映画では職業不明)。

 海炭市2.jpg


 共通項は「敗者」である。一様に何かを失い、壊れていく。

 しかし、原作もそうなのだが、なにかしら絶望一色ではない。みんな何かを待っている。絶望的なコントラストの中で、「待つ」ことで希望の縁取りが見える。映画はこうした原作の味わいをうまくすくい取っている。

 原作と映画を単純に比較することの愚をあえておかすのだが、夜の市電に偶然のごとく登場人物たちが乗り合わせるシーンは、原作にはない。このシークエンスは映画らしくてとてもいい。もちろん、乗客たちは見知らぬ同士である。彼ら(彼女ら)を乗せて、電車は街をめぐる。電車は「なにか」を象徴している。北海道の厳しい季節の中で、車内灯はわずかばかりの温かさを振りまく。それは乗り合わせた「敗者」たちの体温のようでもある。そしてこのシーンは人々の暮らしがメリーゴーラウンド、回転木馬のようであることを語ってもいる。

 舞台は冬である。佐藤はこの物語を1年の四季の中で描こうとしたのだと聞く。しかし彼は(私と同世代だが)、41歳で自死する。物語はおそらく、冬から早春のあたりで終わっている。それらの季節をフレームの中に封じ込めた映像は美しい。音楽も見事にマッチしている。

 海炭市3.jpg

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