日本の「背骨」は矯正できるか~濫読日記 [濫読日記]
日本の「背骨」は矯正できるか~濫読日記
「日本を診る」(片山善博著)
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地方分権が進まない。コンクリートによる公共事業の時代はとっくに終わったのに、相変わらず中央主導の政治が続いている。その根幹は財源である。いくら掛け声をかけても、財源を地方に移譲しなければ、地方分権は前に進まない。
毎日新聞(1月22日付)で、片山善博総務相と片山虎之助元総務相が対談をしている。立会人は「風知草」の山田孝男編集委員である。この中で、一括交付金をめぐって2人が激論を交わしている。もちろん、現総務相が擁護論、元総務相が否定論である。
善博氏はここで「今は(補助金は)道路なら道路にしか使えないが、(一括交付金は)複数の『事業群』の中から自由に選べるようになる」と説明するが、説明としては、かなり苦しい。虎之助氏のいうようにこれは事実上「ひも付き」といってもいいだろう。総額も5000億円。新年度予算案の地方交付税16兆円、公共事業費5兆円と比べても微々たるものだと分かる。なぜこれほど、地方分権は進まないのだろうか。
実は「日本を診る」で、著者善博氏の見方は明白だ。「民主党政権は、自治体を『コンクリート』に駆り立ててきた地方交付税や地方債の歪みを真っ先に正さなければならないのに、そんな見直しはどこにも見当たらない。法案から透けて見えるのは官僚たちのすさまじい『しのぎ』と目くらましの『お愛想』のみ」。官僚の既得権を壊すこと。そうしなければ国のひも付き財源は永久になくならないだろう。政府は政治主導を取り戻すこと。地方議会の「八百長審議」をなくすこと…。なにより自治体が「自分の足」で立つこと。これに関連して善博氏は自らの体験を交えて「上げ膳据え膳」の全国知事会から「闘う知事会」への脱皮を語っている。そういえば、民主党は「コンクリートから人へ」「新しい公共」のスローガンを掲げたはずだ。あれはどこへ行ってしまったのか。
ここに書かれたことはまことに、もっともなことばかりである。しかし、この書の舌鋒の鋭さと、先の毎日紙面での「釈明」にはかなりの温度差がある。だから虎之助氏の「評論家時代みたいに歯切れ良くはいかないよね」という一言がずんとくる。頑張れ片山総務相、と言いたい。
日本の地方の「背骨」の歪み具合が分かる著作であることは確かだ。
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