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やっぱり真意は不明のまま~秋葉市長の動画投稿 [社会時評]

やっぱり真意は不明のまま~秋葉市長の動画投稿


 1月4日に突然、4選不出馬を表明した広島市の秋葉忠利市長はその後、この問題については一切の会見、インタビューに応じないとした。一方で4日夕には民放のテレビ番組に出演、翌5日には自身の12年間の業績を一方的に語る動画をネット上のサイトにアップした。権力者としての自らの立場を顧みず、発信メディアを都合よく選別するという姿勢を鮮明にした暴挙といえる。

 19726月の退陣表明記者会見の冒頭、佐藤は「テレビカメラはどこかね? テレビカメラ…。どこにNHKがいるとか、どこに何々いるとか、これをやっぱり言ってくれないかな。今日はそういう話だった。新聞記者の諸君とは話さないことにしてるんだ。違うんですよ、僕は国民に直接話したい。新聞になると文字になると(真意が)違うからね。残念ながら…、そこで新聞を、さっきもいったように偏向的な新聞は嫌いなんだ。大嫌いなんだ。直接国民に話したい。やり直そうよ。(記者は)帰って下さい」と発言。最初は冗談かと思った記者たちより笑い声もあったが、佐藤はそのまま総理室に引き上げてしまった。官房長官として同席していた竹下登の説得で再び会見室にもどり、何事も無かったよう佐藤は記者会見を始める。反発した新聞記者が「内閣記者会としてはさっきの発言、テレビと新聞を分ける考えは絶対許せない」抗議したが、「それならば出てってください。構わないですよ。やりましょう」と応え、新聞記者達は「じゃあ出ましょうか! 出よう出よう!」と全員が退席してがらんとした会見場で、一人テレビカメラに向かって演説した。

 7年8カ月という戦後最長政権をつくった佐藤栄作首相の最後の会見である(ウィキペディアから引用)。中央、地方を問わず、権力の座に長くいればこのような心境になるものらしい。裸の王様になり、自らと社会のどちらの価値観が傾斜してしまっているか見えなくなる。そのあげく、自分の発言だけを100%伝えてくれるメディアを求める。佐藤の発言に即して言えば秋葉市長は「僕は市民に直接話したい」と思ったのだろうが、周囲からすればすぐ分かる無残さが、哀しいほど本人にはまるで分からない。余計なことを一つ付け加えれば、佐藤栄作はこの2年後にノーベル平和賞を手にした。まさかそこまで読んで佐藤の轍を踏んだわけでもあるまいが。

 あらためて動画サイトでの秋葉発言を拾ってみる。自らの業績の徹底的な自画自賛。そして、それをいくら聞いてもなぜ4期目を断念したかが見えてこない。皮肉にも自ら動画で明らかにしているようにこれは「視野狭窄」の発言なのだ。もし少しでもそうした自覚があるなら、権力者の処し方として、メディアや市民の批判の前にわが身をさらすべきなのだ。大学箱根駅伝を見て「目からうろこ」と言うが、そんなもので落ちる「うろこ」はたかがしれている。「タスキをつなぐことの大切さ」などは、民主主義の世の中なら当たり前のこと。何をいまさら、の感が強い。日本は終身大統領制の国ではないのだ。

 特別会計を合わせれば1兆円近い借金を抱える財政を「再建もできました」と語り、市内一等地に広がる空き地の現状を「大きな変化が起こっています」という無神経さ。そしてオリンピック招致構想で「新市長誕生の暁にもしオリンピック招致という決定をすれば、いつでも手を上げられるような状態を作っておきたい」とする、市民とは隔絶した感覚。広島でオリンピックが開かれれば「21世紀最大の出来事」と言うに至っては返す言葉もない。広島西飛行場問題で「市が飛行場を持つことの効果」を言うのであれば、その裏付けとなる財政負担もきちんと説明すべきであろう。ただで飛行場が持てるならだれだって賛成する。「交通手段の多様化」によって「飛行場の発着枠は今後余る」から「そういった条件をうまく生かす」という思考も疑問だ。いま日本国内にいくつ地方空港があり、それがどんな甘い需要見通しでつくられてきたか、この政治家の頭にはないのだろうか。こんなのを称して「政治哲学がない」という。

 そして最後になぜか「藤沢市の海老根市長」をほめちぎる。理由はとんと分からない。われわれのようなひねくれものはついつい裏事情があるのでは、と勘ぐってしまう。市長は世界平和市長会議の加盟都市数が「もうすぐ5000」と、これも自画自賛するが、実はこの加盟都市、アジアが圧倒的に少ない。一応130711日現在)とあるが、うち894は国内である。特に中国7市(あの中国でわずか7市!)のうち秋葉市長在任中の加盟はゼロである。つまり欧米偏重なのだ。ヒロシマはまずアジアに向くべきなのに(被爆体験は戦争「加害」と一体でとらえられなければならない)そうした「哲学」をこの人は持ち合わせていない。

 結局、なぜ4選不出馬の判断に至ったか、なぜこれほどの反対を押し切ってオリンピック招致は進められるべきなのか、まったく分からないままだ。動画サイトを覗いてみると、市長のこうした行動に好意的な反応、評価もあるようだが、それは違う。ネットはもともと双方向性にこそ価値があるはずだ。それがこのような、権力者に都合のいい一方的なメディアとして利用されることに無関心でいられるなら、それはネットの将来にも暗雲を投げかけるだろう。


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