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タンゴのようにせつなくて~映画「瞳の奥の秘密」 [映画時評]

タンゴのようにせつなくて~映画「瞳の奥の秘密」

 あれは、なんというのだろう。寄木細工のからくり箱を開けると、その中に一回り小さなからくり箱が入っている。それを開けると、もう一回り小さなからくり箱が入っている。それを開けると…。そんな映画だ。からくり箱はそれぞれ違った模様と色をしている。ミステリーと思えばラブロマンスであり、ポリティカルサスペンスであり、さらに「サイコ」のような心理劇でもある。なにしろストーリーの端緒からして「仕掛け」があるのだ。
 刑事裁判所を定年で辞めたベンハミン・エスポシスト(リカルド・ダリン)は仕事も家族もなく空虚な日々に耐えている。そんな折り、25年前の事件を題材に小説を書き始める。書きあげた第一稿を見てもらおうと、かつての上司イレーネ・ヘイスティングス(ソレダ・ビジャミル)を訪ねる。彼女は2人の子を育て幸せそうに見える。手書きの原稿を見たイレーネは古いタイプライターを譲る。「A」の文字が壊れて打てない。このことも実は結末に結びつく小さな仕掛けになっている。

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 25年前、ある女性教師が暴行・惨殺される。銀行員の夫リカルド・モラレス(パブロ・ラゴ)は悲嘆にくれる。容疑者は逮捕された。しかし直後に釈放される。ベンハミンらの抗議に判事は「君たちは小さな世界に住んでいる」と答える。背後に大きな政治的圧力が働いている。舞台は2000年ごろだから、回想される過去は1975年ごろだろう。テレビにはイザベラ・ペロン大統領がニュース映像で映し出される。アルゼンチンは直後、軍事クーデターによって暗黒の時代に入る。そんな時代と現代を往復しながらストーリーは展開する。精緻で手が込んでおり映像は重厚である。
 事件と向き合ったベンハミンは殺された女性の夫だったモラレスを訪ねる。「あなたの人生ではない。私の人生だ」とモラレスは突き放すが、ベンハミンにはどうしても解けない謎がある。事件の後、どう心の空白を埋めたのか。その謎はついに突きとめられる。死刑制度がないアルゼンチンでは終身刑が最高刑である。それが伏線になっている。
 事件直後、ベンハミンは命を狙われる。誤認された彼の部下が射殺される。逮捕、釈放された男の指示だろうか。ベンハミンはイレーネへの思いを心に秘めながら、去っていく。駅での別れのシーンを、小説に書き込んでイレーネに見せる。「なによ、これ」という彼女はしかし「どうして一人で行ってしまったの。いくじなし」とつぶやく。茶化そうとする彼女の表情が、とても美しい。そして駅での2人の別れのシーンが、甘くて切ないのである。まるでタンゴのメロディーのように。
 事件によって失われた愛の結末を追いながら実らなかった愛と向き合う。そんなストーリーの中で万華鏡のようにさまざまな光を放つ映画だ。愛を受け止めて「難しいことになるわよ」というイレーネの輝くひとみが、なによりいい。
 沢木耕太郎が8月10日付朝日新聞で「映画らしい映画を見た」と書いたが、同感だ。スペイン語のセリフがとても心地いい大人の映画だ。

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