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55年体制の総決算が必要だ~鳩山政権崩壊 [社会時評]

 

55年体制の総決算が必要だ~鳩山政権崩壊

*ラポートとリポートトーク

*問われるのは個人の資質か

*政界再編の負の遺産

*安保を正面から論ずるべき

*短兵急に評してはいけない

 

 鳩山由紀夫首相が退陣を表明した6月2日の両院議員総会あいさつは、民主党の長老が言っていたように鳩山らしい演説だった。それはこんな言葉で始まっていた。

 「昨年の暑い夏の戦いの結果、日本の政治の歴史は大きく変わった。国民の判断は決して間違っていなかった」

 締めくくりはこうなっている。

 「韓国・済州島のホテルで部屋のテラスに1羽のヒヨドリが飛んできた。(略)『早く、そろそろ自宅に戻ってこいよ』と招いているように感じたところだ」

 情緒に訴える、鳩山らしいトーンだ。

 

 政治家の演説について面白い著作がある。東照二教授の「言語学者が政治家を丸裸にする」。当時はユタ大にいたが現在は立命館大大学院の教授らしい。なぜ消息を知ったかというと、岩見隆夫が「近聞遠見」(5月29日付毎日)で取り上げたからだ。そこでは東の近著「選挙演説の言語学」をベースに麻生太郎前首相と鳩山首相のスピーチを分析、こんなことを書いている。

 東はまず、演説中の人称代名詞の頻度に注目。麻生は圧倒的に「我々」が多く鳩山は「皆さん」が多い。つまり「俺が」の麻生に対して鳩山は聞き手中心の話し方をする。聴衆はそこで鳩山に共感してもいいのだが、そうはならない。なぜか。東の分析を引く。

 

 <鳩山演説に決定的に欠けているのは、自然さ、瞬間的に口から出てくる即興性、ダイナミックさだ。前もって丁寧に準備されたスピーチのように聞こえてしまう。内面からほとばしり出るホンネの演説になっていない>

 

 ここで思い出すのは小泉純一郎元首相である。東も取り上げている、2001年の大相撲夏場所千秋楽の「痛みに耐えてよく頑張った。感動した!」はあまりにも鮮明な記憶として残っている。まぎれもなく小泉の非凡さがある。こうした「聴衆の共感」を重視する話し方を東は「ラポート・トーク」と呼んでいる。この対極が情報中心の「リポート・トーク」だ。鳩山も間違いなくラポート・トークの路線を歩んでいるのである。しかし、鳩山の言い方に従えば「国民は鳩山政権に対して聞く耳をもたなくなってきてしまった」。それはなぜか。どこが小泉と違ったのか。答えはすでに見えているだろう。鳩山演説には「ホンネのダイナミズム」が見えてこないのだ。

 では、どうすればよかったのか。あるテレビ局のワイドショーでこのようなコメントがあった。

 戦後日本の首相で5年以上務めたのは吉田茂、佐藤栄作、小泉の3人しかいない。彼らの共通点は「負けを知る」ことだった―。吉田は戦中、親英米派として獄中につながれている。佐藤は池田勇人の後塵を拝し、高度成長路線を批判して3選阻止に立ったが敗れている。小泉は総裁選で惨敗を重ねている。

 翻って「回転ドアのようにくるくる変わる」(CNNテレビ)政権の顔ぶれを見てみる。安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、そして鳩山。みごとに「負けを知らない」政治家ばかりだ。負けを知らないから負けることを恐れる。本当を言えば、鳩山はいま辞めるべきではなかったとさえ思う。参院選を戦ってきちんと「負けを知る」べきではなかったか。しかし、安倍のように参院選で敗れながら「負けを知らない」ためにその後の身の処し方を誤った例もある。一概なことは言えない。

 もうひとつ、興味深い指摘を岩見がしている。出所は伊吹文明・自民党元幹事長である。芥川龍之介の「朱儒の言葉」を引き「政治家が大義の仮面を用いたが最後、永久にそれから脱することはできない」とする。岩見は言う。「仮面が悪いのではなく、仮面をかぶり続けることができれば、指導者の命脈は保たれる」「鳩山にとって、仮面と悟られたのが最悪だった」(5月22日付毎日「近聞遠見」)

 鳩山は、仮面は外せば済むと思ったらしい。だから「学べば学ぶにつれて」と信じがたい言葉も出てくるのだ。国民世論と米政権とのはざまで苦悩した政治家と言えば、吉田も佐藤もそうだった。国辱と言われながらサンフランシスコ講和条約を結び、戦後の土台を築いた吉田。沖縄返還に際して核密約をひそかに自宅にしまいこんだ佐藤。ことの評価は別として、鳩山はこうした孤独な決断を求めてもせんない政治家だった。言い換えれば、鳩山には吉田や佐藤のようなしたたかさは、望むべくもなかったのだ。

 たしかに、鳩山の政治家としての素質の問題はある。というより正確に言えば、政権交代後の歴史の歯車がぎりぎりと回り、体制のいやおうない再編(安保の再編もそのうちにある)の時期の宰相として適任だったかには、疑問がある。といっても「鳩山の資質」にすべてを帰するのは、どうだろうか。「資質」は今日の事態を招いた、さまざまな要因のうちの一つにすぎないのではないか。

 では、別の要因とは何か。

 普天間問題について、鳩山が「5月末」と期限を切ったことには批判が多い。拙速を避け、安全保障を根本から議論することをなぜしなかったか。これは、言うは易いが実行は極めて困難だ。その理由は、この20年近い政界再編の歴史を振り返ってみれば分かる。「反自民」で1994年、細川護煕連立政権を作ったのは小沢一郎である。しかし、小沢はその後、院内会派から「社会党外し」を企て社会党が政権から離脱。細川の後継、羽田孜政権は2か月で瓦解する。背景にあるのは安全保障をめぐる抜きがたい見解の差である。社会党は自民、さきがけと連立。社会党委員長の村山富市は首相となり、安全保障政策の大転換を図る。このとき原則論に立って党を割ったのが後の社民党、ということになる。

 こうしてみれば、社民党にとって安全保障政策で一線を越えない、ということは党のレーゾンデートルにかかわることだと分かる。社民党にとって「辺野古案拒否→福島党首罷免」はほかに選択肢のない対応だったのである。それが分かっていたからこそ鳩山政権で安全保障の根本を議論することなど、できなかったのではないか。「パンドラの箱」を開けることになるのだ。結局、鳩山は根本議論にふたをしたまま「青い鳥探し」(5月29日付毎日「首相番日誌」)をするしかなかった。

 選挙戦略と連立の数合わせを優先させ、55年体制の総括もないままに国の存立につながる議論をないがしろにしたツケが回ってきた、というほかない。権力を握るためには社会党の委員長までをも担ぐ、というあざとい政治手法のツケでもある。ちなみに言っておけば、このとき村山政権を担いだのは亀井静香と鳩山である。こんな政界再編の右往左往を見ていると、第3極自民党の出現で「ハング・パーラメント(宙づり国会)」の危機に立ちながら、きちんと第1党の保守党政権でまとまった英政界がまともに見えてくる。

 今は目先の権力闘争より国の根幹をどうするかの議論をすべきだろう。そして山口二郎・北大教授がいうように、短兵急な評価をしてはならない。「政権交代は福沢諭吉が提唱し吉野作造が引き継いだ100年がかりのプロジェクト」(6月3日付朝日)なのだから。

 
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