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「アクション」であることの不幸~映画「グリーン・ゾーン」 [映画時評]

「アクション」であることの不幸~映画「グリーン・ゾーン」
 

 評価は分かれるだろう。

 米軍の攻撃で荒廃しきったバグダッドの町。大量破壊兵器の製造を裏付けるため、戦場を走り回る兵士たち。その中にMET隊隊長のロイ・ミラー(マット・デイモン)がいる。ハンディカメラを多用。崩れたビル群での銃撃戦。ノンストップの展開。映像はいきなり緊迫する。観客は戦場に放り込まれる。だがミラーの探索はいずれも空振りに終わる。事実と異なる情報。

 フセイン派の将軍がひそかに会合をしている―。ミラーにタレコミが入る。将軍を追う。一方で、大量破壊兵器の情報を記事化したW・S・ジャーナル紙の女性記者ローリー・デイン(エイミー・ライアン)の存在。彼女は米政府のある筋から得た情報をニュースに仕立てたのだ。ニュースソース「マゼラン」とは―。ミラーが追い詰めるに従って点と線が結びつく。


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 大量破壊兵器の存在がガセネタだったという筋立て自体は、今更の感がある。このプロット自体が魅力的であるためにはもう3年は早くなければならなかっただろう。そのためだろうか、この映画は「アクション」ないしは「サスペンス」として語られる。たしかに前半はスピード感あふれる戦闘場面でタイトな仕上がりだが、後半になるとミラーの「探偵」ぶりが目についてくる。これが「ポリティカル・サスペンス」というには、やや鮮度に難がありはしないか。

 「ハート・ロッカー」がどんな「意味」をも拒絶して一種の無常観を漂わせ、映画としての評価を高めたのに対して「グリーン・ゾーン」はエンターテインメントとしての意味を追求したために、派手な戦闘場面の割には映画として「薄味」の感がある。ミラーがメディアに真相を書いたメールを送る段は、どう考えても蛇足。ないほうがいいが、逆に言うといかにもアメリカ的な結末ともいえる。

 映画としての王道を追求しきれなかった不幸がまとわりつく感じがしてならないが、平均点はとっている。「ブラッディ・サンデー」や「ユナイテッド93」のポール・グリーングラス監督。ノンフィクション「グリーン・ゾーン」からはアイデアをいただいた程度で、まったく別のものと見たほうがいい。

 この映画を「反戦」あるいは「反米」と見る向きもあるが、過剰な反応だ。

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