政治家を描くとは「総理の娘」(岩見隆夫著)~濫読日記 [濫読日記]
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「総理の娘」(岩見隆夫著)
★★★☆☆
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メーンタイトルの横に「知られざる権力者の横顔」とある。首相にまで上り詰めた政治家の家族、中でも「娘」から父親像を聞き出そうという試み。いうまでもなく、首相にまでなる政治家はそんなにはいない。父親になってみれば分かるが、息子より娘に特別の愛着を感じるものだ。つまり「父・総理」と娘とは特別な関係にあるといっていい。そこから、宰相たちの別の人間性が見えてこないか。
岩見さん、いいところに目をつけましたね、と思う。政治家の人間像を描くうえで「金脈」とはいかなくとも「水脈」ぐらいの価値ある視点であろう。家族が語る人間像。ともすればスキャンダリズムに陥る恐れもあるが、その手前で端正な読み物に仕立てるうまさは、さすが政治ジャーナリスト岩見隆夫である。
圧巻はやはり、安倍(岸)洋子が語る父・信介である。
「晩年、父は、生涯に三回死を覚悟したと言っておりました」と洋子は自著で明かしている。初めは東条英機首相との対決、2回目は巣鴨収監、3回目は安保国会。東条ら7人が処刑された昭和23年12月24日、自由の身になる。岸の強運の戦後が始まる。その翌々年、洋子は毎日新聞政治部記者・安倍晋太郎と見合いをする。
昭和32年2月、石橋湛山首相が在任65日で体調を崩して退陣すると岸がその後を継いだ。やはり強運の政治家人生である。しかし、さすがの岸も35年の日米安保条約改定は重かったようだ。6月15日、全学連の国会突入で樺美智子が亡くなる。
「父は非常なショックを受けていました。私もめまいと吐き気を覚え、恐ろしくなりましたね。(略)自分一人でそこまで国の責任を負うことはないでしょう、と叫びたい気持ちでしたが、顔色がどす黒く変わって殺気立った父の表情を見ると、とても口に出ません」
そんなとき父・信介は一人自室でトランプ占いのカードをめくっていたという。娘が垣間見た鬼気迫る光景である。岩見はその後ろ姿に「幕末の志士の雰囲気をただよわせた最後の政治家」との言葉を贈る。
ぜいたくを嫌い、倹約を貫いた池田勇人。娘には「どこに行っても耐えていかれるように、麦飯とつけもので十分だ」と、徹底していたという。だからこそ衆院予算委の質疑で「貧乏人はコメを食べずに麦を食べればよい」と言ってしまう。二女・紀子の証言である。国民生活の豊かさを追求した政治家は、家庭では質素と倹約を旨としたのである。
そして「総理と娘」の関係は竹下登の長女・一子あたりから趣を変えてくる。「父自身の考え方にもあったのかもしれませんが、父は父、私は私なわけです」。総理の娘らしからぬ淡白さ。だが一子は竹下の回想を次のような言葉で締めくくっている。
竹下が亡くなったのは6月19日だった。この「619」は議員会館の部屋番号でもあった。「こんな日に、と思ったら、妹が、この前、パパが『おれは死ぬ日を決めている』って言ったと言うんです」。やっぱり濃やかに、数字好きの父の横顔を語っている。宮沢喜一の娘ラフルアー・啓子の場合。トランプゲームをしていて、ズルをしようとする孫に「ルールはルールだ」と怒る。というより孫とも対等な付き合い方をする。合理主義者宮沢の面目躍如だが、啓子は自著で「強烈な人となりが身近にあるその存在感はうっとうしい」と書く(「晴れのち転職、曇りなし」)。総理の娘のジレンマがあけすけだ。
鳩山一郎から小渕恵三まで11人の宰相が、岩見の筆によってその横顔の陰影をさらに濃くしている。
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