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「死」への透徹した視線~濫読日記 [濫読日記]

 「死」への透徹した視線~濫読日記

「サンチョ・キホーテの旅」(西部邁著)

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「サンチョ・キホーテの旅」は新潮社刊。1600円(税別)。初版第1刷は2009年3月25日。著者の西部邁は1939年、北海道生まれ。東大に進み全学連中央執行委員として安保闘争に参画。学生運動を離れ、学究の道に転じて東大教授。現在は評論家。「サンチョ-」は2010年の芸術選奨文部科学大臣賞。

 


 

 

 









 西部邁という一人の人間を見誤っていたに違いない。「死」という言葉と概念が、これほど頻繁に出てくるとは思わなかった。それだけではない。「死」を見つめる目が透徹している。

 父の最期を描写した「般若のように美しかった」から-。

 「見開かれた父のかろうじて有機的な眼球が美しいガラス玉へと変じていくのに妙な感動を覚えていた。そのとき、私のすぐうしろにいた伯母が『良いものを見せてもらって有り難う』と私に話しかけてきた」

 川端康成ばりに「ぞくり」とさせる文章である。そして若き頃の、巣鴨拘置所での体験。「真夜中の首吊り」―。死刑囚が、半年に2度、房内で首を吊ったという話である。どっちみち「絞首」される運命のものがなぜ…。

 「そうか、人間にとって最も厄介なのは〝自分の意識について意識すること〟なのか」と感じ入ったという。死刑を待つことの不安。死そのものに勝る恐怖がそこにある、という。

 西部が闘った60年安保から半世紀がたつ。3つの裁判を抱え、週に3度被告席に座ったという。その一つが、樺美智子を死なせてしまったあの国会通用門南口でのデモ扇動である。裁判を終えて彼は「戦線逃亡」を宣言する。「私の戦線逃亡とは、刑務所から出てくるまでは自分の人生を完全なモラトリアムにおこう、ということだったのである」。ここでも小林秀雄の「生き延びるためには一度死なねばならぬ」を引き、その思考には「死」の影が漂う。しかし彼は実刑を受けることはなかった。裁判官は「法罰を加えなかった」のである。安保の年の晩秋に「巣鴨プリズン」の独房を出所し、青函連絡船で「暗い海の不気味なうねりをみつめ」、帰った我が家で「お前みたいな奴に敷居は跨がせない」と父親に言い放たれる。このくだりを紹介した章は「帰る家があれば生き残れる」と小題がつく。

 なにせ、冒頭から「死ぬのは怖いことじゃない」と来るのだ。「敬して遠ざけるのが賢明」と思われる人物として福田恆存を挙げる。安保直後の法廷闘争渦中で読んだ福田の一文に深く頷く。訃報に接した直後にも、福田自身の言葉である「死ぬのは怖いことじゃない」に「心から頷く」のである。穏やかな保守主義への傾倒。この章、西部の思想転換のプロセスを記したどんな文章よりも、西部の思考の足跡がよく分かる。

 文章家である。その端正さは、生と死への透徹した視線から生まれている、と言ってもいい。

サンチョ・キホーテの旅

サンチョ・キホーテの旅

  • 作者: 西部 邁
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2009/03
  • メディア: 単行本


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