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小沢一郎と朝青竜~辺境社会の嫌われ者 [社会時評]

 小沢一郎と朝青竜~辺境社会の嫌われ者

 風貌が、似ていなくもない。ともに目が小さい。だから表情で感情の動きを読み取りにくい。腕力はある。やることが目立つから、存在が気になる。だが何を考えているか。
 小沢一郎・民主党幹事長はどうやら司直の手を逃れそうだ。資金管理団体の収支報告書虚偽記入事件で共犯にも問われないとなると、これは検察の全面敗北ではないか。国会開会直前に衆議院議員を逮捕してまで捜査にこだわったのは、何だったのかと問いたい。
 この小沢、なぜか必要以上に嫌われている気がする。検察が執念を燃やすのもそのせいか。この点は事情通でないのでよく分からないが、一般論としていえば、嫌われる理由はなんとなく推測がつく。先日、毎日新聞のコラムニスト岩見隆夫による一文を載せ小沢の戦略家の一面を紹介したが、このあたりも絡んでいるに違いない。いつも「一人だけの戦略」なのだ。これは一概に悪いことではない。だが、嫌われる要因になる。
 日本人にとって、というより日本的な組織にとって、まず好ましいのは組織の価値観に寄り添ってくれる人間たちだ。「日本人が何かを決定するとき、その決定にもっとも強く関与するのは、提案の論理性でも、基礎づけの明証性でもなく、その場の空気である」(「日本辺境論」)のだ。これを著者の内田樹は「辺境人のメンタリティ」と名付ける。
 この精神構造を裏返してみればいい。その場の空気になじまず、一人だけの戦略を組み立て、論理の正当性を主張する。小沢がまったくそうだ、というほどの能力の持ち主かどうかは判然としないが、少なくとも行動パターンはそうだといえる。例の中国要人の天皇会見問題を見ればいい。力任せで理屈をごり押しすれば、日本人は嫌う。
 小沢と並んで処分が注目される人物、朝青竜は泥酔の末に「殴った」とされる被害者の示談書を警視庁に提出したらしい。これがどう出るか。この期に及んで被害者の示談書とは、見え透いた行動とも映るが。
 朝青竜もまた、力はある。相撲取りにしては頭が回る。だから口も達者だ。土俵の上での実力は白鳳が上かもしれないが、存在感は朝青竜が勝っていると見た。このあたりが、桟敷席からは癪に障ると思われている。要するに小沢も朝青竜も、周囲との摩擦係数が大きいのだ。個人的な感想をあえて言えば、力士としての力にとどまらない朝青竜の存在感は、辞めさせてしまうには惜しいと思っている。
 さて、最近注目を浴びた人物といえば、元横綱の貴乃花親方。日本相撲協会の理事選に、一門からの破門という処分を受けながら立ち、当選した。彼は小沢、朝青竜と似ているか。この点、桟敷席がどう見ているか、実はよくわからない。ただ、個人的には好きではない。なぜか。あの、能面のような表情に由来する。小沢や朝青竜ほど目が小さくない。もともと感情が表に出やすい顔立ちだ。その自意識からの「慇懃無礼」だろうか。仮面の下の感情が見えにくいのだ。ただ、彼も「一人だけの戦略」を貫く強さを持ち合わせているようには、見える。
 嫌われてもいいのだ。今の日本にはこういう人間たちがいてほしい。内田が著書で引用したように「何となく何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて戦争の渦中に突入したという驚くべき事態」(丸山真男「超国家主義の論理と心理」)が訪れてほしくはないからだ。

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